注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2017年3月1日水曜日

映画『ラ・ラ・ランド』99点



オールタイムベストクラスの一本に出会ってしまった。
だから先に言っておくけど、今回は長くなります。
ごめんなさい。


何回リハしたの?君たち最高だよ!













いや、しかし

「この世界観にもう少し浸らせてくれ!
 椅子から立ち上がりたくない。」

と思ったのは、いつ以来なのだろうか。


この映画には、映画が表現しうる
夢や希望や失望や喜びや悲しみや涙や感動や、
とにかく全ての要素が詰め込まれている。

この圧倒的色彩美も最後まで飽きさせない大きな要因。
つまり、美しいものは何時間観ても退屈しないという真理。













それも圧倒的に切ないにもかかわらず、
圧倒的にポジティブでもあるという、
人はそれを矛盾と呼ぶんだぜと、
そう言われるのはわかっているけどやめられない。
そんな映画だ。

ここまでほぼ何も具体的なことを言えていない
稚拙なレビューで恥ずかしくなって来てはいるが、
それくらい人の心を熱くさせる、高揚させる、
極上のエンターテイメントなのだ。

この映画が往年の名作へのオマージュとして機能しているとか、
ミュージカルシーン編集点全然無いけど
どうやって撮ってんだよとか、
プレビューで酷評されたからチャゼルが全部編集し直して
今の完成形があるとか、そういう本物の解説は
本業のプロの方々の評論に任せておくとして、

観ていない哀れ(とまで言わせて下さいごめんなさい。
それくらい価値のある映画です。)な人々のために
ネタバレレビューはなるべく避けるように書いていくが、

まず個人的にこの映画が圧倒的に素晴らしいと思うのは、

夢見るとか、モチベーション高く何かをするとか、
熱く何かに取り組むとか、必死に粘り強く生きるとか、
そう言うのってダサいっすよ。恥ずかしくないんですか?

という類いの現代病とも言えるノリ
(村上春樹先生に一言で形容して欲しい)
って、そこはかとなく我々の職場だけでなく、
皆さんの生活圏内にも漂っているのを
目にしたり感じたことがあると思うんですよ。

で、そんな中この映画は、
そんなノリを嘲笑うがごとく

「夢を見ること?そんなことは全く恥ずかしくないぜ!」
「夢を見て何が悪い?」

と、圧倒的前面に押し出して、
我々にメッセージとして届けてくれるわけだ。
まさに「夢」の世界!










実はこれって一歩間違うと、
(それを間違いと呼ぶかどうかは、
少し議論が必要だが、ここでは論旨がずれるので無視)
→『騎士団長殺し』を読んでいるので
 ( )を使いたい欲求でとりあえず使っているのだ。

話を戻して、
実はこの圧倒的ポジティブメッセージ映画って一歩間違えると、
逆にめちゃくちゃ見てる側が恥ずかしくなる
(ダサい)映画に成り下がる危険性を秘めていると思うんですよ。

熱すぎる熱血ドラマとか、青春物語って、
いやそれがわかりやすくていいんじゃん!ってノリもわかるんだけど、
ルーキーズとか見てると恥ずかしくなって静かにチャンネルを・・・
って心理状態ないですか?私はあります。

そう、つまり、

「夢を見ること?そんなことは全く恥ずかしくないぜ!」
「夢を見て何が悪い?」

ってメッセージを含んだ創作物って、見てる方からすると、

「いやいや、恥ずかしげもなくそういうこと言うと・・・
 恥ずかしいですよ(少しダサいですよそのスタンス)」

ってなりがちなんですよね。たぶん。

でもこの映画の凄いところは、そういう一歩間違えると
大きなダサさに繋がる真っ直ぐなメッセージを恥ずかしげもなく
前面に押し出しているくせに、
受け取る我々観賞者も全く恥ずかしくならないんですよ。

いや、マジでそうだわ!夢見る事って全然恥ずかしくないよ!
夢に向かって頑張って何が悪いんだよ!

って、「自然に」観賞後、思えるんですよ。
これってとてもシンプルな読後感ではあると思うんだけど、
(悪く言えば、凄くチープで在り来たりな読後感)
なかなかそんな映画って無いと思うし、

恥ずかしながらも同じ映像を扱わせて頂いている身として、
得てして「感動させるぞ~!いくぞ~!」
っていうVTRって9割8分滑るんですよね。
いやいやお前のその振りかぶり恥ずかしいぞって。
感動させようと意気込んでるのバレてるぞって。
視聴者の方は気付きます。だいたい。

だから、そういう真っ直ぐで熱すぎる感動させるぞ-!
って映像表現を見た人々は、見終えた後に
何かしらの「まぁとはいえフィクションだしな」っていう
客観的かつ現実的な思考を脳ミソの奥底には誰もが抱えているので、
観賞後数時間後(持ったとしても翌日朝起きるまで)には
その強烈に受け取ったメッセージなんて忘れてるんですよ。
だってフィクションだから。って具合に。

でも、ところが。

この映画を見終えて数日経った今でも、
そのシンプルな読後感は確実に胸に刻まれているんですよ。

このシーンもあのシーンも胸に刻まれていますけど何か?


じゃあそんな一歩間違えるとクソダサい映画になり得るこの物語は
なぜここまで自分を魅了したんだろう?って考えてみたんですが
その要因はとてもざっくり大きくトピック分けすると、

1.シームレスなミュージカル
2.“一見”矛盾だらけの物語
3.賛否両論のラスト

これに尽きます。と思います。

まず1.から書いてみますが、
個人的にはミュージカルって小学生の時からとても苦手で、
演劇観賞会的なもので、ミュージカルを見させられた時も

帰宅後母親に
「なんであの人はあんなにマジメな場面で歌い出すの?
 そんなことってあり得ないよね?」

というむき出しのリアリズムを展開して、
母親をあきれさせた記憶があるんですけども、
このブログの原点にもなっている『レ・ミゼラブル』(70点)
についての感想でも、恥ずかしげもなくこんな事を書いていました。

何が70点かって、そもそも9割以上が歌なんだよこの映画。
何を今更!ミュージカル映画なんだから当然でしょ、と
突っ込みが入る所なんだろうけど、いや、それにしても歌中心すぎる。

何せ全てが歌だから台詞や内容が頭に入ってこない。
そりゃもちろん、ヒュージャックマン、アンハサウェイ、
ラッセルクロウをはじめとする俳優陣の歌唱レベルの高さには
驚きと共に感動すら覚えたけど、なにせ歌ってるから入ってこない。


という、『ラ・ラ・ランド』に99点を付ける男とは思えない
(そもそもお前何様だよ感すごいぞ。
 若いって文章に勢いをもたらすんだな。)
レビューを残しているのだが、
つまり自分には元来このテンションがあったわけで、
観賞前は当然不信感を持って椅子に座った。

だが、この映画がそんなミュージカル嫌い原理主義者の自分を
魅了というか、アレルギー反応を起こす隙を
一瞬たりとも与えなかった理由というのが
「シームレスなミュージカル」というポイントにある。

このシーンはめちゃくちゃ好き。何回でも観たい。













つまり、この映画は「そこで歌うの?」的、
ミュージカル苦手芸人が陥る「冷めちゃう瞬間」が無いのだ。

全てがその時々のバックミュージック的役割にも見えるし、
歌そのものが、その時の「シーン」として圧倒的に機能しているので、
「いやいやそこじゃ普通は歌わないよ。君頭おかしいの?」
という「ミュージカル、現実に引き戻される問題」が発生しない。




→このシーン、途中でエマが笑うんだけどアドリブなのかな。
 最高に自然で最高にほほ笑ましい1シーン。

だからずっと『ラ・ラ・ランド』の世界の中にいられるのだ。
ここはミュージカル嫌いにとって圧倒的に大きい。


そして、2.“一見”矛盾だらけの物語 だが、
この映画は時代設定が全くよく分からない。
70~80年代のハリウッドかなと思ったらiPhoneが鳴り出す。

そういう時代考証が完全に無茶苦茶な状態で物語は進むんだけど、
その矛盾が矛盾として存在していない(ように見える)。

なんで矛盾と感じないかって、
それは圧倒的クオリティのオープニングに
(数分間の1カットミュージカル)










主役の2人は1秒も出てこないということが重要で、
つまりこの物語の主役は、もちろんエマとゴズリングなんだけど、
彼らも『ラ・ラ・ランド』で夢見た、夢見る人達の一部に過ぎなくて
この映画はそんな“『ラ・ラ・ランド』で生きる人達”から始まるのだ。

だからそんな時代を超えて夢を追い求めて人々がやってくる
『ラ・ラ・ランド』には時代考証なんて必要無くて
そこで、夢を追い、夢に散り、夢を叶えた人達、
全ての人々を描き、捧げる、そんな「夢物語」なのだ。
と、勝手に解釈して震えてる。

チャゼル先輩(俺の1個上でさらに震える)、間違ってらごめんなさい。

だから、そんな序盤から圧倒的クオリティの映像美で
「夢物語」に完全に引き込むことに成功している時点で、
時代の矛盾なんてウンコ。関係ない!気にならない!のだ。


そして、長くなってきて読む人も書く方も疲れてきたところで
3.賛否両論のラスト について。

これは、賛否の「否」を唱えてる人とは、
友達になれる気があまりしないと、
ここに高らかに宣言しておくけど
(そちらもなりたくないであろうから放っておいて下さい)

この映画は、“あのラスト”だからこそ傑作であるのだ。
見た人にはわかる“あのラスト”
あの状況でこの顔出来る?いや、出来ないよなかなか!












ネタバレしないように書くのめちゃくちゃ難しいんだけど、
(以下、若干ネタバレしてるから読みたくない人は離脱を)



“あのラスト”でもし2人が“抱き合っていたら”
この映画は80点くらいの普通の秀作で終わっていたと思う。

しかもチャゼルが憎い、憎すぎるのが、
“あのラスト”に向かうとても大切なストロークに
“あの理想郷的な走馬燈”を差し込んできたことだ。

私は恥ずかしながら(いや、恥ずかしくなんて無い!)、
“あの理想郷的な走馬燈”で、
ゴズリングがガッツポーズしたシーンで泣いたよ。

“あの理想郷的な走馬燈”の冒頭で、エマが乗った車は
高速道路を「降りる」という演出も徹底的に憎い。

「降りた」エマが辿り着いたのは・・・









冒頭の美しすぎる
「夢を追うもの達が渋滞をなす高速道路」を「降りる」のだ。
くー!!!!!チャゼル!!!!!!

くー!!!!!しか書けない自分の背中を綿矢りさに蹴って欲しい。
そして金原ひとみにフィットする形容表現で書き上げて欲しい。

そして、この物語のラストについて最後に書いておくと、
このラストをハッピーエンドと捉えるか、バッドエンドと捉えるかは
解釈が圧倒的に分かれるところだと思うのだけれど、

個人的には、監督が「2人が微笑む」という選択肢をとったことに
とても意味があると思う。

あのまま一度も振り返らず、その姿を目で追うこともなく映画が終われば
それはもう超リアリズム恋愛映画の傑作『ブルーバレンタイン』95点
(奇しくも同じゴズリングが主演!!)
匹敵する超重量級の顔面パンチを食らって、
3日くらい後遺症を引きずる後味になると思うんだけど、

“あの微笑みのラスト”という着地によって
“圧倒的にポジティブで清涼感あふれる読後感”
を得ることが出来るわけだ。

そんな私はもう『ラ・ラ・ランド』の住人。

この映画をDVDで見る人は確実に人生を損していると断言します。
私レベルで恐縮ですが、断言します。

ちなみにマイナス1点は、「ほんの少し長い」それだけです。


最後に実はもう一箇所涙しそうになった、
終盤エマが歌い上げる『AUDITION』を貼り付け、
このレビューを閉じたいと思います。



どうか乾杯を やっかいな私たちに

大事なのは少しの狂気

夢追い人たちに、乾杯