注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2017年4月22日土曜日

映画『LION ライオン 25年目のただいま』80点


インドで迷子になった少年サルーが、
25年後にグーグル・アースを使い、故郷を探し出す

というウソのようなホントの話を映画化。

アカデミー賞では作品賞を始め6部門にノミネートされた良作。

力強く前を向き続けて感動の再会を果たす
サルーの人生に大いに感動させられたのは確かですし、
映画館に見に行く価値のある作品であることは間違いないのですが
『スラムドック$ミリオネア』の"あの少年”が立派な俳優に!














90点越えの超傑作!と思えない下衆な自分が・・・

で、なんでそんな下衆な自分がひょっこり顔を出したのか、
少し振り返って考えてみたんですけど。

結論としては・・・
 
①GoogleEarthという我々にとっても身近な文明の利器を使って
 25年前の記憶だけを頼りに実家を探しあてるという
 カタルシス感満載間違い無しのストロークで、
 思っていたほどのカタルシスを得ることが出来なかった。
 ※勝手に自分でハードル上げてるだけだけど。

②(大好きな)ルーニー・マーラの使い方

これに尽きる気がします。

まず①に関しては「じゃあお前が描いてみろよ!」
って言われると思うんですけど、
だから先に「無理ですごめんなさい」と謝っておきます。

この映画、音楽はとても良いし、
なにせ迷子になり始め→完全に迷子になってさまよい続ける
シーンなんて、サルーに完全に同化して恐怖心と不安にかられる
素晴らしい映像表現だって事は間違いないし、
まさに天才子役!











インドで孤児化してしまったサルーを
オーストラリアで引き取ることを決意した
濁りのない善意の塊過ぎて、みてるこちらが「俺って何なんだろう」
って恥ずかしくなるくらいの人間力に満ちあふれた
ニコール・キッドマン夫妻の家族愛も観ていて
とても心が温まることも間違いない。

ニコール・キッドマンは助演女優賞にノミネート











実際の写真














だけども、それだけ

迷子→死にものぐるいで迷子生活脱出
→里親の元へ→幸せなオーストラリア生活

という描写がしっかりしているだけに、
なんかあまりにも簡単に見つかってしまった気がしたんですよね。
俺だけかな。

ホントはどうやって見つけたんだろう?
って本当の話を映画化しているのに思ってしまったんですよね。
ウソのようなホントの話だからこそ、
このウソみたいに簡単に見つかったのがホントの話なんです
ってことだとしたら、「あ~そうなんだ。そうなんですね。」
と答えて会話は終了なんですけど。

でもだからこそ、エンドロールで流れる
(この映画絶対最後まで席を立ってはダメ!)
"実際の写真&映像がこの映画で最も泣けた”んだと思うんですよ。

物語(感動)のピークが映画という(ドキュメントを映画化した)
”フィクション”内になくて、
むしろ事実を映画に落とし込んだ映画そのものが壮大な振りになって
最後の実際の映像ドキュメントの感動を増長させるという。

それが狙いなんだよ、なんでそれじゃダメなの?
って言われちゃうと
「あ~そうなんだ。そうなんですね。すみません。」
と答えて会話は終了なんですけど。

まぁあくまでも個人的な性癖に近い戯言的感想ですね。

そして②(大好きな)ルーニー・マーラの使い方
主人公の彼女役で登場













もうこれはアイドルのファンがアイドルの出演映画に
文句言うのと同じ構図ですね。

色んな意味での「もうちょっと無いの!?」

親&母国を捨てた、捨てられてしまった孤児っていう闇を
抱え続けて生きてきた主人公は、彼女に対して
「君は本当の僕を知らないだろ!」って切れるっていう
展開が待ち受けている訳なんですが、そこの展開に至るまでの
「ラブラブからの喧嘩からの和解」の描写がまさに
「もうちょっと無いの!?」
「ルーニー・マーラにもうちょいあげてよ!」って言いたくなりました。
それだけです。

でも出会いのシーンでもある道路挟んでの"あのシーン”は
最高にキュートでしたね。

関係ないけど、個人的に消化不良だったので
ルーニー・マーラの美しい画像貼っておきます。













というわけで色々ほざいてきましたが結局は良い映画です。

2017年3月1日水曜日

映画『ラ・ラ・ランド』99点



オールタイムベストクラスの一本に出会ってしまった。
だから先に言っておくけど、今回は長くなります。
ごめんなさい。


何回リハしたの?君たち最高だよ!













いや、しかし

「この世界観にもう少し浸らせてくれ!
 椅子から立ち上がりたくない。」

と思ったのは、いつ以来なのだろうか。


この映画には、映画が表現しうる
夢や希望や失望や喜びや悲しみや涙や感動や、
とにかく全ての要素が詰め込まれている。

この圧倒的色彩美も最後まで飽きさせない大きな要因。
つまり、美しいものは何時間観ても退屈しないという真理。













それも圧倒的に切ないにもかかわらず、
圧倒的にポジティブでもあるという、
人はそれを矛盾と呼ぶんだぜと、
そう言われるのはわかっているけどやめられない。
そんな映画だ。

ここまでほぼ何も具体的なことを言えていない
稚拙なレビューで恥ずかしくなって来てはいるが、
それくらい人の心を熱くさせる、高揚させる、
極上のエンターテイメントなのだ。

この映画が往年の名作へのオマージュとして機能しているとか、
ミュージカルシーン編集点全然無いけど
どうやって撮ってんだよとか、
プレビューで酷評されたからチャゼルが全部編集し直して
今の完成形があるとか、そういう本物の解説は
本業のプロの方々の評論に任せておくとして、

観ていない哀れ(とまで言わせて下さいごめんなさい。
それくらい価値のある映画です。)な人々のために
ネタバレレビューはなるべく避けるように書いていくが、

まず個人的にこの映画が圧倒的に素晴らしいと思うのは、

夢見るとか、モチベーション高く何かをするとか、
熱く何かに取り組むとか、必死に粘り強く生きるとか、
そう言うのってダサいっすよ。恥ずかしくないんですか?

という類いの現代病とも言えるノリ
(村上春樹先生に一言で形容して欲しい)
って、そこはかとなく我々の職場だけでなく、
皆さんの生活圏内にも漂っているのを
目にしたり感じたことがあると思うんですよ。

で、そんな中この映画は、
そんなノリを嘲笑うがごとく

「夢を見ること?そんなことは全く恥ずかしくないぜ!」
「夢を見て何が悪い?」

と、圧倒的前面に押し出して、
我々にメッセージとして届けてくれるわけだ。
まさに「夢」の世界!










実はこれって一歩間違うと、
(それを間違いと呼ぶかどうかは、
少し議論が必要だが、ここでは論旨がずれるので無視)
→『騎士団長殺し』を読んでいるので
 ( )を使いたい欲求でとりあえず使っているのだ。

話を戻して、
実はこの圧倒的ポジティブメッセージ映画って一歩間違えると、
逆にめちゃくちゃ見てる側が恥ずかしくなる
(ダサい)映画に成り下がる危険性を秘めていると思うんですよ。

熱すぎる熱血ドラマとか、青春物語って、
いやそれがわかりやすくていいんじゃん!ってノリもわかるんだけど、
ルーキーズとか見てると恥ずかしくなって静かにチャンネルを・・・
って心理状態ないですか?私はあります。

そう、つまり、

「夢を見ること?そんなことは全く恥ずかしくないぜ!」
「夢を見て何が悪い?」

ってメッセージを含んだ創作物って、見てる方からすると、

「いやいや、恥ずかしげもなくそういうこと言うと・・・
 恥ずかしいですよ(少しダサいですよそのスタンス)」

ってなりがちなんですよね。たぶん。

でもこの映画の凄いところは、そういう一歩間違えると
大きなダサさに繋がる真っ直ぐなメッセージを恥ずかしげもなく
前面に押し出しているくせに、
受け取る我々観賞者も全く恥ずかしくならないんですよ。

いや、マジでそうだわ!夢見る事って全然恥ずかしくないよ!
夢に向かって頑張って何が悪いんだよ!

って、「自然に」観賞後、思えるんですよ。
これってとてもシンプルな読後感ではあると思うんだけど、
(悪く言えば、凄くチープで在り来たりな読後感)
なかなかそんな映画って無いと思うし、

恥ずかしながらも同じ映像を扱わせて頂いている身として、
得てして「感動させるぞ~!いくぞ~!」
っていうVTRって9割8分滑るんですよね。
いやいやお前のその振りかぶり恥ずかしいぞって。
感動させようと意気込んでるのバレてるぞって。
視聴者の方は気付きます。だいたい。

だから、そういう真っ直ぐで熱すぎる感動させるぞ-!
って映像表現を見た人々は、見終えた後に
何かしらの「まぁとはいえフィクションだしな」っていう
客観的かつ現実的な思考を脳ミソの奥底には誰もが抱えているので、
観賞後数時間後(持ったとしても翌日朝起きるまで)には
その強烈に受け取ったメッセージなんて忘れてるんですよ。
だってフィクションだから。って具合に。

でも、ところが。

この映画を見終えて数日経った今でも、
そのシンプルな読後感は確実に胸に刻まれているんですよ。

このシーンもあのシーンも胸に刻まれていますけど何か?


じゃあそんな一歩間違えるとクソダサい映画になり得るこの物語は
なぜここまで自分を魅了したんだろう?って考えてみたんですが
その要因はとてもざっくり大きくトピック分けすると、

1.シームレスなミュージカル
2.“一見”矛盾だらけの物語
3.賛否両論のラスト

これに尽きます。と思います。

まず1.から書いてみますが、
個人的にはミュージカルって小学生の時からとても苦手で、
演劇観賞会的なもので、ミュージカルを見させられた時も

帰宅後母親に
「なんであの人はあんなにマジメな場面で歌い出すの?
 そんなことってあり得ないよね?」

というむき出しのリアリズムを展開して、
母親をあきれさせた記憶があるんですけども、
このブログの原点にもなっている『レ・ミゼラブル』(70点)
についての感想でも、恥ずかしげもなくこんな事を書いていました。

何が70点かって、そもそも9割以上が歌なんだよこの映画。
何を今更!ミュージカル映画なんだから当然でしょ、と
突っ込みが入る所なんだろうけど、いや、それにしても歌中心すぎる。

何せ全てが歌だから台詞や内容が頭に入ってこない。
そりゃもちろん、ヒュージャックマン、アンハサウェイ、
ラッセルクロウをはじめとする俳優陣の歌唱レベルの高さには
驚きと共に感動すら覚えたけど、なにせ歌ってるから入ってこない。


という、『ラ・ラ・ランド』に99点を付ける男とは思えない
(そもそもお前何様だよ感すごいぞ。
 若いって文章に勢いをもたらすんだな。)
レビューを残しているのだが、
つまり自分には元来このテンションがあったわけで、
観賞前は当然不信感を持って椅子に座った。

だが、この映画がそんなミュージカル嫌い原理主義者の自分を
魅了というか、アレルギー反応を起こす隙を
一瞬たりとも与えなかった理由というのが
「シームレスなミュージカル」というポイントにある。

このシーンはめちゃくちゃ好き。何回でも観たい。













つまり、この映画は「そこで歌うの?」的、
ミュージカル苦手芸人が陥る「冷めちゃう瞬間」が無いのだ。

全てがその時々のバックミュージック的役割にも見えるし、
歌そのものが、その時の「シーン」として圧倒的に機能しているので、
「いやいやそこじゃ普通は歌わないよ。君頭おかしいの?」
という「ミュージカル、現実に引き戻される問題」が発生しない。




→このシーン、途中でエマが笑うんだけどアドリブなのかな。
 最高に自然で最高にほほ笑ましい1シーン。

だからずっと『ラ・ラ・ランド』の世界の中にいられるのだ。
ここはミュージカル嫌いにとって圧倒的に大きい。


そして、2.“一見”矛盾だらけの物語 だが、
この映画は時代設定が全くよく分からない。
70~80年代のハリウッドかなと思ったらiPhoneが鳴り出す。

そういう時代考証が完全に無茶苦茶な状態で物語は進むんだけど、
その矛盾が矛盾として存在していない(ように見える)。

なんで矛盾と感じないかって、
それは圧倒的クオリティのオープニングに
(数分間の1カットミュージカル)










主役の2人は1秒も出てこないということが重要で、
つまりこの物語の主役は、もちろんエマとゴズリングなんだけど、
彼らも『ラ・ラ・ランド』で夢見た、夢見る人達の一部に過ぎなくて
この映画はそんな“『ラ・ラ・ランド』で生きる人達”から始まるのだ。

だからそんな時代を超えて夢を追い求めて人々がやってくる
『ラ・ラ・ランド』には時代考証なんて必要無くて
そこで、夢を追い、夢に散り、夢を叶えた人達、
全ての人々を描き、捧げる、そんな「夢物語」なのだ。
と、勝手に解釈して震えてる。

チャゼル先輩(俺の1個上でさらに震える)、間違ってらごめんなさい。

だから、そんな序盤から圧倒的クオリティの映像美で
「夢物語」に完全に引き込むことに成功している時点で、
時代の矛盾なんてウンコ。関係ない!気にならない!のだ。


そして、長くなってきて読む人も書く方も疲れてきたところで
3.賛否両論のラスト について。

これは、賛否の「否」を唱えてる人とは、
友達になれる気があまりしないと、
ここに高らかに宣言しておくけど
(そちらもなりたくないであろうから放っておいて下さい)

この映画は、“あのラスト”だからこそ傑作であるのだ。
見た人にはわかる“あのラスト”
あの状況でこの顔出来る?いや、出来ないよなかなか!












ネタバレしないように書くのめちゃくちゃ難しいんだけど、
(以下、若干ネタバレしてるから読みたくない人は離脱を)



“あのラスト”でもし2人が“抱き合っていたら”
この映画は80点くらいの普通の秀作で終わっていたと思う。

しかもチャゼルが憎い、憎すぎるのが、
“あのラスト”に向かうとても大切なストロークに
“あの理想郷的な走馬燈”を差し込んできたことだ。

私は恥ずかしながら(いや、恥ずかしくなんて無い!)、
“あの理想郷的な走馬燈”で、
ゴズリングがガッツポーズしたシーンで泣いたよ。

“あの理想郷的な走馬燈”の冒頭で、エマが乗った車は
高速道路を「降りる」という演出も徹底的に憎い。

「降りた」エマが辿り着いたのは・・・









冒頭の美しすぎる
「夢を追うもの達が渋滞をなす高速道路」を「降りる」のだ。
くー!!!!!チャゼル!!!!!!

くー!!!!!しか書けない自分の背中を綿矢りさに蹴って欲しい。
そして金原ひとみにフィットする形容表現で書き上げて欲しい。

そして、この物語のラストについて最後に書いておくと、
このラストをハッピーエンドと捉えるか、バッドエンドと捉えるかは
解釈が圧倒的に分かれるところだと思うのだけれど、

個人的には、監督が「2人が微笑む」という選択肢をとったことに
とても意味があると思う。

あのまま一度も振り返らず、その姿を目で追うこともなく映画が終われば
それはもう超リアリズム恋愛映画の傑作『ブルーバレンタイン』95点
(奇しくも同じゴズリングが主演!!)
匹敵する超重量級の顔面パンチを食らって、
3日くらい後遺症を引きずる後味になると思うんだけど、

“あの微笑みのラスト”という着地によって
“圧倒的にポジティブで清涼感あふれる読後感”
を得ることが出来るわけだ。

そんな私はもう『ラ・ラ・ランド』の住人。

この映画をDVDで見る人は確実に人生を損していると断言します。
私レベルで恐縮ですが、断言します。

ちなみにマイナス1点は、「ほんの少し長い」それだけです。


最後に実はもう一箇所涙しそうになった、
終盤エマが歌い上げる『AUDITION』を貼り付け、
このレビューを閉じたいと思います。



どうか乾杯を やっかいな私たちに

大事なのは少しの狂気

夢追い人たちに、乾杯

2017年2月22日水曜日

映画『ハドソン川の奇跡』92点


2009年に実際に起きたUSエアウェイズ1549便不時着水事故、
通称“ハドソン川の奇跡”を巡る事象を巨匠イーストウッド先生が映画化。
実際の現場写真











トム・ハンクス演じる機長が操縦する旅客機が離陸後、
エンジンに鳥が飛ぶ込み、まさかのエンジン停止。
副操縦士のアーロン・エッカートも良い味出してました。














墜落まで残された時間は4分弱という発狂しかねない極限状態で
管制塔からは空港にUターンすることを指示されますが、
圧倒的な経験値からくる彼が下した決断は・・・

早速イーストウッド“先生”と、言いたくなる傑作ですこれは。

批評や説明など必要無い!ビューティフル!
って感じなんだけど、あえて言うのであれば、

「96分」という映画館観賞において圧倒的に歓迎される
おしりが痛くならない「適尺」ながらも、
その内容はというと、決して駆け足すぎたり、
脚本に破綻が来すことは全くない。

ポジティブな意味での「ザ・アメリカ社会」を
リアリティーを題材に丁寧かつスリリングかつ感動的に美しく描き、
さらに読後感は圧倒的に爽快で消化不良感ゼロ!
さらにさらにテンポ感も抜群!
お尻痛くない!トイレ行きたくならない!さすがです巨匠!
個人的にはこのシーンが一番好き。
完全に検察側を論破!最高に気持ちいい!












やっぱり86年も生きないと、
このレベルの脚本&編集技術は身につかないんですかね巨匠・・・

2017年2月4日土曜日

映画『沈黙-サイレンス-』83点



遠藤周作の名作『沈黙』を巨匠スコセッシが映画化。
ずっしり来る秀作だった。


各キャストの名演振りはもちろん強く印象に残っているが
個人的には、

“誰か”が“自分ではない何か”を「本当に信じる」ということは、
ある意味その時点で、その”誰か”の“死”を意味する

ということだ。

「人を信じる」ということは、「究極、そいつのために死んで良い」
ってことなんだ。って事をこの映画は痛いほど突きつけてくる。


だからそんな決意もないのに「あなたのこと信じてみようと思う」とか
メロドラマ的セリフを吐きべきではないのだ。日常において。


そんな怒りはさておき、

遠藤周作の『沈黙』と言えば、高校生か大学生の頃に
『海と毒薬』と合わせて読んだのが最後だから
その時に感じた「ずっしり感」は脳みそにかろうじて残っているものの
詳細な物語の流れは忘れていた。


簡単この物語の内容を言うと・・・


17世紀、キリスト教が禁じられた日本で
棄教したとされる師の真相を確かめるため、
日本を目指す若き宣教師のロドリゴとガルペ。

2人は旅の途上のマカオで出会ったキチジローという
日本人を案内役に、やがて長崎へとたどり着き、
厳しい弾圧を受けながら自らの信仰心と向き合っていく・・・

という話。


目の前で踏み絵させられたり、キリスト教徒であることがバレてしまい、
「転ぶ」=棄教することを迫られ、様々な残酷すぎる拷問に処される
キリスト教徒達を目の前にしても「神」はなぜ「沈黙」するのか?

これほど「神」を信じて行動しているがゆえに拷問、処刑されている
教徒達をなぜ神は「黙って」見ているのか?
助けてくれないのか?









映画監督でもある塚本晋也が怪演。本当に苦しそうだった。

















っていう禅問答のような神への疑念をひたすら突きつけられるわけだが
この映画の面白いというか肝にもなっているのが
踏み絵で隠れキリシタンを取り締まる幕府側の人間達のスタンスだ。


彼ら(イッセー尾形とか浅野忠信とか)は、

これ形だけだからさ。
とりあえず踏んだら死なずにすむんだから踏んじゃいなよ。
踏んだらもうそれで良いからさ。密かに信仰してれば良いじゃん。

と、徹底弾圧と言うより超絶カジュアルに棄教を迫る。
イッセー尾形。絶妙に嫌な奴で最高だった。
















なぜなら、弾圧に対し最後まで抵抗して死罪になると
そのキリスト教徒は「殉死」した「英雄」になってしまうからだ。
これでは弾圧すればするほどキリスト教徒が団結するという
負の連鎖を生んでしまう。

そしてアンドリュー・ガーフィールド演じる宣教師ロドリゴは
目の前で残酷すぎる拷問で死んでいくにもかかわらず
自分たちが信じた神は沈黙して何もしてくれない、助けてくれない・・・

俺が棄教すれば、この人達は死なずに済むのだ・・・
でもそれは神を裏切ることになってしまう・・・

そんな葛藤に葛藤を重ね、ついに彼は「転んで」しまう。















自分はそんなに強くない。
でもそれで良い。それが自分だし、それが人間だ。

宗教のために死ぬ。目の前で人が死んでいく。
自分が「キリスト教辞めます」って言えば救われる。
それでも辞めない!と言い続けられるほど自分は強くない。

そんな弱い自分を受け入れてくれる神は存在しないのか?
いや、存在してくれるはずだ。

そんな葛藤を手に取るように感じながら見ていたのだが、
そもそも観賞前から大きな疑問だったのが

「スコセッシはなぜ何十年もの苦労を重ねてまで
 日本の文学作品を映画化したのか?」

ということだ。

でも161分にも及ぶ大作を観賞し終えて、
勝手ながら少しだけ分かった気がする。


キリスト原理主義的なスタンスからすると、
「転んだ」人達は確実に裏切り者だろう。

だが、「生きる」ために表向きは「棄教」を宣言し
「沈黙」しながら「隠れキリシタン」として生き続ける
キリスト教徒を許しても良いのでは無いか?

事実、金のために隠れキリシタンを密告したと思ったら
俺の罪を神は許してくれるかな?とか泣きながら告白したりと
ことごとく神をおちょくって口先で生きてきた
窪塚洋介演じるキチジロウは、最後まで生き延びたのだ。















だって死んだら意味ないじゃん。
とでも言うかのように。


っていうことを
自らも洗礼を受けた身で有りながら、1966年に『沈黙』という作品で
世界に発信した遠藤周作という作家は革新的だったんだなと思う。

そしてそれを1度頓挫しながらも映画化したスコセッシの執念。

7割以上がキリスト教徒と言われるアメリカで
原理主義者の攻撃にあうことは容易に予想される中
映画化したスコセッシの執念。

色々なものが濃密に濃縮された161分。

そして何よりも
これってアメリカ人はどう見てるんだろう?
感想聞きたいなって思いましたが
アカデミー賞にほぼスルーされている感じがその答えというべきなんでしょうか。






2017年1月14日土曜日

映画『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』95点



圧倒的な緊張感で描かれる新時代の戦争映画。

あっという間の104分。

これは傑作です。絶対に観た方が良いです。絶対に。


これまで個人的に戦争映画のベストは『ゼロ・ダーク・サーティー』(85点)
だったんだけど、しっかりと超えてきた。


内容に関しては貼り付けている予告を見て欲しいんだけど、
この映画が秀逸なのは、

①無人爆撃する側(イギリス&アメリカ合同軍)
②無人爆撃される側(ケニアに潜むテロリスト)
③関係ないのに爆撃攻撃に巻き込まれる一般人

この3つの視点を、どこかに偏ることなく、
完璧な構成とテンポと緊張感を持って、104分の中で描ききっていることだ。


で、さらに映画が秀逸なのは、

この3つの視点をさらに


①イギリス軍諜報機関【現場に指示を出し統率】(ロンドン)
アカデミー賞女優 ヘレン・ミレン
大佐役を演じ、さすがの存在感でした


















②イギリス内閣【攻撃決定権を持っている】(ロンドン首相官邸)
高みの見物と言われても仕方ない構図。














③ドローン操縦&ミサイル発射チーム(アメリカ・ネバダ州)
イギリスにいるヘレン・ミレン大佐から「撃ちなさい!」
って命令される辛い仕事を遂行しなければならない2人
手前はドローンを操作する隊員
奥はミサイルのスイッチを押す隊員



















④映像解析チーム(ハワイ)
※画像見つからず・・・

この人達は一番冷静というか、悪く言うと一番人間味がなかった。

なぜならドローン爆撃した後の惨状を画像チェックして

「はい、死体バラバラですけど、~ってテロリスト死んでます。
 顔かたちの特徴から一致致しました。」

って報告するという、どこにやりがいを見いだせば良いのか
全く分からない仕事を遂行するチームだから。


⑤地上部隊(ケニア・ナイロビ)
『キャプテン・フィリップス』でソマリアの海賊として
存在感放ってたバーカッド・アブディ
スマホでこの虫型カメラを操縦し、テロリストが潜伏する
家の中を覗き見するというハイテク戦争!!
実際にもっと小さい虫型カメラが存在するらしい。

⑥関係ないのに巻き込まれる一般人(ケニア・ナイロビ)
上空2万フィートから圧倒的な命中率で爆撃する














この6つの視点に細分化した上に
ただ、細分化するのではなく、それぞれの立場での
行動・葛藤・苦悩・決断を圧倒的なリアリティーで見せつけてくれる点だ。


名作『ガタカ』の監督が手がけ、似たモチーフの映画に
ドローン・オブ・ウォー』という良作があるが、














これはイーサン・ホーク演じるドローン爆撃のスイッチを押す軍人が
心を病んでいく様子を「点」で描いたものであった。


一方『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』は、
より多角的に現代の戦争を描ききる。

そしてそこで起きてしまう、人間性を問われる究極の選択。

爆撃しようとしていた最重要テロリスト(2名)が潜伏する家の前で、
(さらに自爆テロ用の大量の爆薬も虫型カメラが発見してしまう)
1人の少女がパンを売り始めてしまう。













しかし、一刻も早く爆撃しなければ、テロリストは逃げてしまうかも知れない。

撃つべきか、撃たないべきか、

1人の少女の命を取るか
テロリストを生かすことで、後々殺戮されてしまう数百人の命を取るか

マイケル・サンデル教授も頭を抱える究極の道徳授業。

お前は命令するだけかもしれねーけど、爆撃のスイッチ押すの俺だぞ!
テロリストを殺すのも俺だし、少女を殺すのも俺なんだぞ!
簡単に押せとか言うんじゃねーよ!!
民間人殺すって分かってて爆撃するの法律違反だろ!

と、憤る爆撃チーム
どっかで見たことあるなと思ったら
『ブレイキング・バッド』のジェシーじゃん!
彼の顔で見せる演技には泣かされた・・・
















「じゃあ、この後テロが起きて数百人が死んでも良いの!?
 法律違反!?どうなの法律担当!」

と、詰め寄る大佐。

この司令部も画面越しで戦争を遂行してるわけで
ちなみに奥の男性が法律アドバイザー。
「私の決断は法律的にどうなの!?アウトなの!?」
って詰められるという辛すぎる仕事。
















そして、

「決定権は内閣にあるのよ!内閣どうなのよ!
 早く決めないと逃げちゃうわよ!」

と、大佐に詰められ
様子を見守ってミサイル攻撃の最終決定権を持つ内閣
だけどこの人達、なすりつけ合って全然決めません















『シン・ゴジラ』ばりの閣僚同士の責任なすりつけ合いコント。

撃つべきか、撃たざるべきか、あなたならどうしますか?
とか言われても困るし、そんな選択肢に迫られる人生、
いくらつまれても送りたくねーよ。
わかってたけど戦争ってとにかく本当に最低最悪だな。
っていう重たい現実をこれでもかと突きつけてくる映画です。

一体どんな結末になるか、是非劇場で確かめてみて下さい。
ただ、デートムービーではありません。

そして映画終盤、
『シン・ゴジラ』ばりの閣僚同士の責任なすりつけ合いコントに
振り回され続けたアラン・リックマン演じるフランク・ベンソン中将が
(この人は軍人の立場として爆撃すべきだという意見)

この人は目の前で閣僚が決めた「撃つ・撃たない」を
電話で大佐に「撃って良いってよ」と伝える役割。
















爆撃反対派に女性閣僚に「あなた方はズルい。臆病だ。」的なことを
言われて、怒りを抑えながら静かに言い放った言葉が
とても印象的だった。そして格好良かった・・・

と、思ったけど、別にカッコイイとかじゃない。
この人の放った言葉は確かにカッコイイんだけど、
そもそもその「言葉」そのものを発さなければならない
現実、状況は全く格好良くないのだ。

でも、彼はあくまでも軍人としての「仕事」をしているだけであって、
その「仕事」上では、圧倒的に正義で有り、カッコイイし、間違っていない。

みな、それぞれ与えられた役割の中で職務を遂行するプロなのだ。

だけど、そんな職務を遂行した後、そこには達成感など一つも無く、
この映画の中に出てくる登場人物の誰1人、笑っていないのだ。

それが戦争・・・




2017年1月8日日曜日

映画『レヴェナント 蘇りし者』80点




ついにディカプリオが念願のアカデミー賞主演男優賞を獲得した。

















が、しかし。逆に言うと…

「ここまでやらないとアカデミー賞主演男優賞ってとれないんだ。」

いや、もっとディカプリオ側に立って言えば

「レオ様ここまでやってるんだからもうアカデミー賞あげて!
 もう死ぬしか方法なくなっちゃうから!」

それがこの映画に対する個人的なファーストリアクションだ。


お話としては至ってシンプル。


舞台は1800年代アメリカの西部開拓時代。
ディカプリオ演じる実在した罠猟師ヒュー・グラスの
雪山での過酷なサバイバルを描いた映画。

イニャリトゥで、撮影監督は引き続き『ゼロ・グラビティ』(100点)
ルベツキというゴールデンコンビで、
今回、2年連続監督賞を受賞。
ルベツキに至ってはゼロ・グラビティから3年連続!の撮影賞受賞。

そんな夢の豪華布陣でガッチリ固めたレオ様は
19歳の初ノミネートから4回も逃し続けるオスカーを
今回ばかりは!と獲りに来たなぁって感じなのだが、
そこまで体張らなくても!って出川哲朗氏も驚くレベルの
体当たり演技を見せてくれる。

どれくらい体当たりかと言うと

●極寒(マイナス30度近く)の撮影はほぼ照明を使わず自然光
⇒一日で撮影出来る時間は1時間程しかなかったらしい。
ディカプリオとイニャリトゥ監督。寒そう。。













そんなミスが許されない極限状態で撮影し続けると
当然役者側のストレスは膨大で、『マッドマックス』(80点)
過酷な撮影環境に耐えたトム・ハーディーすらも
キレて監督の首を絞めたらしい。もちろん仲直りしたらしいけど。
トム・ハーディー。いい味出してた。











●ベジタリアンなのに生レバーを豪快食い
劇中で飢えたレオ様がバイソンの生肉を豪快に食らう
印象的なシーンがあるんだけど、
スタッフはベジタリアンのレオ様の為に、本物そっくりのゼリーを用意。

が、レオ様はリアリティが薄れる!と豪語し、食うんだけど
思わず吐き出しちゃってる!ってのは本編を観てのお楽しみ。
それだけ気合い入ってたってことですね。


●ホントにケンカして鼻骨骨折
徹底してリアリティを求める監督は、
映画でもクライマックスとなる終盤における
トム・ハーディーとレオ様のケンカシーンで
本当に殴り合いをさせたらしい。
もちろん骨折しても撮影続行。
そう言われてみなくても抜群のリアリティ。













●熊との格闘はノースタント
話題になった大きな熊(グリズリー)との格闘シーン。











劇場で観ていて「息をのむ」ってのはこのことだなってくらい
息が出来ない程圧倒的リアルなシーンなんだけど、
ここを彼はノースタントでやりきってるんだとか。
熊はもちろんCGなんだけど、
何度も何度も地面に叩き付けられるレオ様は本人。
打撲どころじゃ済まないんじゃね?って誰もが思う。

●役作りのため1年半かけて伸ばしたヒゲ
実際のグラスとの比較














●世界に10人未満しかいない先住民族の言語マスター

と、まぁ恐らくもっとあるんだろうけど、
ありとあらゆる「体当たり演技」「過酷な撮影環境」を
これでもかと詰め込んだこの映画。
そりゃもうアカデミー賞あげてよ!って思っちゃう。
ここまでやったんだから!って。

話しとしてはサバイバル&復習っていうシンプルな構図だし、
(その裏に隠された深いテーマみたいなのがイニャリトゥなら
ありそうだけど)映像も最高に美しいけど、
とにもかくにも

「レオ様もういいよ!よくやったよ!もういいから!」

そう言う映画でしたこれは。
だから受賞出来て本当にとても良かったと思います。