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※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2015年4月26日日曜日

映画『セッション』75点


世間ではYahoo!のトップニュースになるほど、
映画評論家の町山氏とジャズミュージシャンの菊地成孔氏との
大論争が話題(←詳しくはクリックしてみて下さい)だが、
正直僕には町山氏ほどの映画教養もなければ、
菊地氏ほどの音楽的素養も持ち合わせていないので、
単純に、「個人的に」面白かったかどうかで採点して、感想を書きます。


これは、「プレイ」です。

予告やプロモーションでは、「究極の師弟関係」という言葉が使われてましたが、
個人的には、終始、

アンドリューとフレッチャー先生との「究極のツンデレプレイ」
フレッチャー先生怖すぎワロタ
















を見せられている気がしていた。

この映画を見て感じ取った感情はこれでしかない。


いやもちろん、この映画、確かに面白いし、
これがデビュー作とは思えないデミアン・チャゼル監督の手腕によって
各国の映画賞を総なめにし、
アカデミー賞も3部門を受賞するという快挙を成し遂げている。
助演男優賞受賞のJ・Kシモンズ!
こりゃ『バードマン』のノートンも負けるわ・・・っていうハマり役

















そこで描かれているのは、レベルの違いや種目の違いはあれど、
僕みたいな庶民でも経験した
「部活での圧倒的理不尽な監督と選手の関係性」だ。


フレッチャー先生も映画内で言っていたが、
「能力を最大限に引き出すため」「次のステージへ持って行くため」に
教え子に、罵詈雑言を浴びせ、時に暴力をも用いて「教育的指導」を行う。

それについて来れない奴は一流になれない理論。

まぁ言いたいこととやりたいことはわかる。


僕も中学と高校でサッカー部のキャプテンをやっていて、
論理的とはほど遠い理不尽な説教や言葉の暴力や体罰を受けた。
それに対して今となって恨み辛みなど全くないし、
今更クレームしたいという気持ちも全くない。

むしろ当時尾崎豊ばりに尖っていることが正義だと信じていた僕は、
納得いかない怒りをぶつけてくる顧問に対して反抗を繰り返していた。
が、あるとき、

「世の中には納得できないとしても、
 または、自分が1000%正しいケースでも、
 「はい、わかりました。すみませんでした。」と、
 非を認める(フリをする)ことで丸く収まる、または事が進むことが存在する」

ということを、それらの理不尽な監督から学んだ。


なぜなら僕が反抗すると他の選手達に迷惑がかかるからだ。
僕の尾崎豊ばりの反抗は、部活全体に「連帯責任」をもたらしていたのだ。
だから引くときは引く。
そうすればみんながやりたい「サッカー」は出来る。
僕の「個人的な納得いかない気持ち」を消せば、サッカーが出来る。

そんなことを学べたのは、あの理不尽な「プレイ」があってこそなのだ。


ということで、こんな芦田太郎の部活個人史などには
僕個人が感慨深くなるだけで、第三者からすれば
さほど興味が持てないのと同じで、
アンドリューとフレッチャー先生との「究極のツンデレプレイ」を
100分見せられたとしても、そこにカタルシスは無い。


巷で噂の「衝撃のラスト」何て特に、お互いの表情を見ていると
「究極の師弟プレイ!!!!絶頂寸前!!!!」にしか見えないわけで。
この距離感!














だから個人的には、世間の評価ほどこの映画を楽しめなかった。
なぜここまでこの映画は評価されたのか?

みんな「プレイ」を「する」方じゃ無く、「見る」方が好きなの?






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