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※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2015年1月20日火曜日

なぜ映画を観るのか?vol.2

以前、『なぜ映画を観るのか?』という記事を
映像制作に携わる人間の観点として書いてみたりしたが、
それとはまた違う観点で「なぜ映画を観るのか?」に対する答えを
最近見つけたので少し書いてみようと思う。


何か辛いことや、やってられないことがあったら、
ローン・サバイバー(78点)』のDVDを観ることにしている。

なぜなら

「この映画の主人公達以上に自分が絶望的であることは絶対にあり得ない」から。


この映画の主人公は世界最強とも言われる
アメリカの海軍特殊部隊ネイビーシールズの4人だ。












彼らの何がどう最強かというと、
訓練期間中に8割以上が脱落する中で生き残り、選び抜かれた最強部隊なのだ。

その想像を絶する絶望的で過酷な訓練は、
映画の冒頭にも実際の映像らしきものが差し込まれるのだが、

両手両足を縛られて、プールに突き落とされるという
もはや過酷というレベルを超え、拷問に近いものだ。

そんな訓練をくぐり抜けた猛者どもの最強ぶりは様々な映画でも描かれていて、
キャプテン・フィリップス(82点)』では、
数百メートル離れていて、さらに揺れた船の上から、
揺れた船に乗る海賊を一発で射殺するという離れ業をあっさりとやってのけたり、


ゼロ・ダーク・サーティー(84点)』では、
あのビンラディンの暗殺をした部隊でもある。















その世界最強の男達が圧倒的な絶望的状況に追い込まれるのが
この『ローン・サバイバー』だ。
最強の男達が体中ボロボロ。血だらけ。















この映画、何が絶望的かって、
米軍4人に対してタリバン300人以上。しかも実話。

全身骨折は当たり前。
そこにはハリウッドお決まりの「お前はなぜ打たれないんだ!」的な
お決まりの主人公だけはなぜか被弾しないなんていうフィクションは存在しない。

全身あらゆる箇所をタリバンに打たれまくって体中穴だらけ。血だらけ。

タイトル通り一人しか生き残らない。
世界最強と言われるネイビーシールズの彼らでさえ、多勢に無勢。


それでも彼らは死ぬ間際まで世界最強の部隊としての意地を見せ続ける。
圧倒的な射撃の腕はもちろん、
打っても打っても数が減らないタリバン軍団に、
信じられない角度の断崖絶壁まで追い込まれて、
万事休すかと思ったら、1秒の間もなく「飛び降りるぞ!」と4人ともダイブ!













極限に追い込まれてもなお、この決断力、判断力の早さ!
当然石ころのごとく断崖絶壁を転がり落ちる彼らは全身ボロボロ、
各所骨折のままさらに追い込まれていくのだが・・・


そう、つまりなぜこの映画を観るかというと、
この人達の絶望感に比べれば、自分の痛みや悩みなどたいしたことは無いと。
むしろ比べることすらおこがましい。


こういう映画の使い方、見方もある。それが今回の結論。


2015年1月3日土曜日

映画『DOCUMENTARY of AKB48 The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?』採点無し




4作あるAKBのドキュメンタリー映画は、これまで全て観てきたが、
※前作の感想はコチラ
今作は過去最も多くのイベント・事件
(大島優子卒業・握手会襲撃事件・総選挙など)が
収録されていると言っても過言ではない。

が、皮肉にも最も内容の薄いドキュメンタリーとなってしまっている。
と、悲しいかな、個人的には思う。


「AKB」というシステムを構築し魅力たらしめている根幹である
「物語性」みたいなものがもはや限界に来ていて、
この映画内では、あらゆる角度からお話にしていこうっていう
意気込みだけは伝わってくるけど、
それは結局大した波=物語にはならないという
非常に辛いジレンマを感じる作品だった。

※AKBの物語性から見る楽しみ方についての記事はこちら
→『AKB48について


紅白歌合戦で突然発表された大島優子の卒業に
動揺を見せるメンバー、泣きじゃくるメンバー、
それぞれの表情を見れば感情の起伏は十二分に伝わるし、
衝撃を与えた出来事なんだろうな、くらいは分かる。


だが、この映画では、その「事件」をキッカケにして、
起きるべき「物語」は発生しているようには見えない。

あるとすれば、大島の卒業を期に、
「自覚を持った渡辺麻友が指原を破り1位になった」
というファンじゃ無くても知っているような、
深読みの必要が無い公然のつまらない事実だけで、
映画を観てもそういったことしか読み取ることが出来ない。


かつてブログに書いたような「前田敦子の卒業」から読み取れる
「物語」は全く存在していないのだ。だから面白くない。
ただ若くてそこそこ可愛い子達が右往左往していて痛々しいだけだ。


だから「大組閣」と題した非常に内輪向けのイベントで、
(AKBがSKEいったり、NMBがAKBいったりみたいなイベント)
名前も知られていないような若手の子が、ただ一人名前を呼ばれず
過呼吸で運ばれてしまっても、そこに物語が存在しないので、
本当にただただ惨めでかわいそうで痛々しい少女が過呼吸に陥っている
映像にしか見えなくて、思わず再生ボタンを留めそうになるほど、
無意味で不快な時間だった。


世間を騒がせた川栄・入山の傷害事件も、
映画内の描かれ方では結局、
「暴漢に刺された」という「点」の事実のみであるから、
ニュースを見ているのとさしも変わらない不愉快さを感じるだけなのだ。

別にこの事件をおもしろおかしく物語にして欲しいというわけではない。
こんなどうしようもない事件すらも映画に盛り込まないといけないほど
現在のAKBには「物語」が失われてしまっているのか?ということだ。


こんな現状をシステムの限界と呼ばずして何と言えば良いのだろうか。



そんな限界尽くしのAKBを支え続けた大島優子はついに卒業した。

この映画内で唯一物語性を感じ、切なかったのが、
大島優子が卒業に際してのインタビューで語っていた内容だ。


AKBを何のためにやっていたのか考えてみたんですけど・・・
最初はもちろん自分のためだったけど、いつの間にかシフトチェンジした。
それは、仲間のためにAKBをやっているんだ。
仲間がいるから、自分が頑張れば仲間も絶対良くなる。
仲間のためにやってたなって、ここ何年かで気付きました。
だからどんどん仲間がやめていったから、心細くなっちゃったんですよね凄く。


卒業したら誰もが晴れ晴れしい顔になるのに、
哀愁と悲しみすら感じさせる顔でこんなことを語っていて、
ブログに書いた事『大島優子の卒業について』と一致しすぎて、
新年早々何とも言えない気持ちになった。

以下ブログより

かつて秋元康は
「AKB48とは「大島優子の一生懸命さ」のことである」
と言ったらしいが、
誠にこの言葉は正しく、
大島優子が一生懸命になればなるほど
前田敦子は唯一無二の絶対的センターになり、

そんな前田去りし後は、
大島優子が一生懸命になればなるほど
後輩達にとっての越えるべき壁としての
存在感、意味が増すという哀愁。


この映画の「物語」は大島優子にしか無かった。
この写真の表情からだけでも、
少しAKBを知っていれば語りたくなってしまうような、
そんな「物語」を全力で作り上げてくれた彼女に心から拍手を送りたい。