注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2015年12月20日日曜日

映画『007 スペクター』72点


2015年12月20日鑑賞。

昨年末に見たが、ずっと書けていなかった。


簡潔に感想だけ言うと、
個人的には前作の『スカイフォール』の方が面白かった。

では何がどう前作の方が面白かったかを説明するには、
そもそも前作の何が面白かったかを整理しておく必要がある。


監督は前作に引き続き、『アメリカンビューティー』で、
アカデミー監督賞、ゴールデングローブ賞 監督賞を受賞したサムメンデス
ケイトウィンスレットと離婚協議中らしい。















まず、『スカイフォール』の監督がサムメンデス?
え?そっち系の監督でしたっけ?って感じになった記憶が鮮明にあって、

アメリカンビューティーって映画は、ご存じの方も多いだろうけど、
超シュールで痛烈にアメリカ社会を皮肉ったコミカルな作品で、
その後、『ジャーヘッド』とか戦争映画は撮っているものの

「007に見合うスーパーアクションシーンとか得意だっけ?」

って疑問は相当あった。


ところが彼はその疑問を見事に吹き飛ばす可憐なアクションシーンと
サムメンデスらしい人間の暗部を巧みに描く重厚な脚本で、
シーズン史上最も「人間らしい」ボンドを作り上げた。
















そこにいるダニエルグレイグ演じるボンドは、
『カジノロワイヤル』や『慰めの報酬』には無かった
人間としての葛藤、弱さを見せるボンドだったのだ。

個人的にはそんな作品全体のどよーんとしながらも
美しさと格調を保っている感じが好きだったんだけど、

「なんだこれ!暗すぎる!こんなのボンドじゃ無い!」

なんていう、オールドファンの批判にさらされまくったサムメンデス。


こういうシリーズものって恐らく何をどう作っても、
あーだこーだいわれる宿命なんだろうけど。

前振りが長くなったが、
今作はそんな批判されまくったサムメンデスが

超悪くいうと「迎合した」、

さほど悪くいわないと「調和した」「バランスを取った」

作品に落着いてしまったと感じたのだ。


今作にはオールドファンを刺激する
数々のオマージュポイントがあったらしいが、
自分はオールドボンドを知らない無知な鑑賞者なので、
作品内に散りばめられた「あーここにそんなの入れてくるの?」
みたいな興奮ポイントは見つけられなかったし、
そんな昔から見てる人に合わせる必要があるのかメンデス!!
って気持ちになってしまった。


これぞ悪役!っていうクリストフ・ヴァルツも、
演技力はそりゃ申し分ないんだけど、なにせ小さいからあまり怖くないし、
想像以上にあっさり負けちゃって拍子抜けした。













ボンドガールのレア・セドゥは、『アデル、ブルーは熱い色』で
スピルバーグも絶賛のR-18衝撃的ベッドシーンを演じた実力派。
















ボンドガールのわりに強すぎるとか何とか言われてるみたいだけど、
美しさの中に常に悲しみや哀愁が潜む表情が
個人的には結構好きでした。



とはいえ、映画全体はエンターテイメントに溢れ、
退屈無く見れることは間違いが無いので、観て損は無いと思います。
ただメンデスはメンデスを貫いて欲しかったなぁと。



2015年10月24日土曜日

映画『キングスマン』73点


2015年10月18日鑑賞。

名作『キック・アス』の監督マシュー・ボーンということで、
自然とハードル上げ目での鑑賞スタート。


相変わらずこの監督は、
アクションシーンをダイナミックかつ美しく撮影するのが抜群に上手い。

『英国王のスピーチ』で、
アカデミー主演男優賞を受賞したコリン・ファース
まさに英国紳士!!
という洗練されたトムフォード的スーツに身を包むスパイなわけだけど、















「最近のスパイ映画はシリアスすぎる」的な台詞が
本編内に差し込まれてることに象徴されているように、
全編通して「シリアス」ではなく、
「あり得ない」=「フィクション」なスパイ映画が展開される。


その極地は終盤の『威風堂々』に乗せたあのシーンに間違いないわけだが、
流石にネタバレになるので伏せます。


たぶんこの映画ってイギリス?欧米において増え続ける下流層の若年層や
それらの原因となり、それらを搾取する巨大企業やら、
そんな現代の社会情勢を反映した映画なんだろうけども、
あまりそういう思想的な視点でこの映画を観ても、
本当に楽しめない感じがしていて、

なんかアクション&スパイ映画としては、
古典的というか、さほど新しいストーリー性や展開はないんだけど、
なぜか新しく見えるアクションや、
「あり得ないっしょ」って笑いたくなる殺戮シーンは、
これが“あのシーン” まさにワロタ


















キック・アスから始まる「ポップに人を殺す」という、
映画でしか出来ない究極の表現方法を極めようという
マシューボーンの姿勢に拍手を送りたいと思いました。




2015年8月29日土曜日

映画『ナイト・クローラー』82点


2015年8月29日鑑賞。

大好きな俳優ジェイク・ギレンホールの作品と言うことで観てきました。

事件や事故現場に急行して捉えた映像を
テレビ局に売る報道パパラッチとなった男が、
刺激的な映像を求めるあまりに常軌を逸していく。

という話なんだけど、とにもかくにもギレンホールが最高。

とにかくギレンホールが演じた主人公は、とにかくクズでクズでクズ過ぎて、
人間のクズという言葉以外出てこないくらいクズで、
何も感情移入が出来なくて、最後まで胸くそ悪い。
役作りで相当減量したらしい。目が飛び出しそう。














でも、主人公はどんどん成功を掴んでいく。
クソみたいな行動を続けるのに。

クソみたいな奴って普通映画では痛い目を見たり、
死んだり、罰せられてカタルシスを得られるんだけど、
そうでは無いのが、この映画の素晴らしいところ。
この画像だけでまともな人間で無いことが分かる。
















しかも何かわからないけど、この映画を観ていて、
不思議とストレートにこのクズ人間を否定できない気持ちになる。

それは同じ業界で働く人間として、耳が痛い!ってことではなくて、
このクズを作り出している、クズがクズとして行動する源泉は
こいつの性格が元々クズなのでは無く、
主人公を取り巻く環境や人間が彼をクズたらしめているということ。

そういうダークな部分を完璧に貫いて描ききった、
ある意味「気持ちが良い」後味の悪い映画でした。


2015年7月5日日曜日

映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』80点


2015年7月5日鑑賞。

久しぶりに少しだけ時間が空いたので、
会社の隣のTOHOシネマズに行ってきた。


個人的にこの映画は、
特にドヤ顔で分析したり、四の五のご託を並べる必要が全くない。


ジャンルは違えど、
敬愛する小説家の阿部和重が『グランド・フィナーレ』で芥川賞を受賞した際に、
これまた敬愛する作家であり、芥川賞選考委員の村上龍が講評で、

わたしは阿部氏の作品を推した。
その理由はただ一つ、
小説にしかできないことに作者が挑戦しているように感じたからだ。

と、述べたわけだが、

この『マッドマックス』も同様のことが言える、そう感じた。


つまり、

「映画にしか出来ないことを究極に突き詰めた作品」である。

ということだ。


ゼロ・グラビティ』が“世界最高峰のCG技術”を駆使した
「映画にしか出来ないことを突き詰めた究極」であるとするならば、

『マッドマックス』は、“世界最高峰の実写&撮影技術”で、
映画の究極を突き詰めている。


これどうやって撮ったの?











30人くらいスタントマン死んでない?









そんな心配をよそに、そんなシーンの連続で物語は全速力で進んでいく。


この映画は心休まる、やや退屈なシーンが10分くらいしかない。
気を抜ける瞬間がほとんど無く、アドレナリンマックス状態が120分間続く。

だからエンターテイメントとしての「映画」としても
非常に高いレベルで成立しているし、
R-15だけど、カップルで見ても気まずくなる映画では無い。

もちろんトム・ハーディーもシャリーズ・セロンも最高に格好いいが、
















とにかくこの映画は、まずは映画館で映像・音を体感すべきです。





2015年4月26日日曜日

映画『セッション』75点


世間ではYahoo!のトップニュースになるほど、
映画評論家の町山氏とジャズミュージシャンの菊地成孔氏との
大論争が話題(←詳しくはクリックしてみて下さい)だが、
正直僕には町山氏ほどの映画教養もなければ、
菊地氏ほどの音楽的素養も持ち合わせていないので、
単純に、「個人的に」面白かったかどうかで採点して、感想を書きます。


これは、「プレイ」です。

予告やプロモーションでは、「究極の師弟関係」という言葉が使われてましたが、
個人的には、終始、

アンドリューとフレッチャー先生との「究極のツンデレプレイ」
フレッチャー先生怖すぎワロタ
















を見せられている気がしていた。

この映画を見て感じ取った感情はこれでしかない。


いやもちろん、この映画、確かに面白いし、
これがデビュー作とは思えないデミアン・チャゼル監督の手腕によって
各国の映画賞を総なめにし、
アカデミー賞も3部門を受賞するという快挙を成し遂げている。
助演男優賞受賞のJ・Kシモンズ!
こりゃ『バードマン』のノートンも負けるわ・・・っていうハマり役

















そこで描かれているのは、レベルの違いや種目の違いはあれど、
僕みたいな庶民でも経験した
「部活での圧倒的理不尽な監督と選手の関係性」だ。


フレッチャー先生も映画内で言っていたが、
「能力を最大限に引き出すため」「次のステージへ持って行くため」に
教え子に、罵詈雑言を浴びせ、時に暴力をも用いて「教育的指導」を行う。

それについて来れない奴は一流になれない理論。

まぁ言いたいこととやりたいことはわかる。


僕も中学と高校でサッカー部のキャプテンをやっていて、
論理的とはほど遠い理不尽な説教や言葉の暴力や体罰を受けた。
それに対して今となって恨み辛みなど全くないし、
今更クレームしたいという気持ちも全くない。

むしろ当時尾崎豊ばりに尖っていることが正義だと信じていた僕は、
納得いかない怒りをぶつけてくる顧問に対して反抗を繰り返していた。
が、あるとき、

「世の中には納得できないとしても、
 または、自分が1000%正しいケースでも、
 「はい、わかりました。すみませんでした。」と、
 非を認める(フリをする)ことで丸く収まる、または事が進むことが存在する」

ということを、それらの理不尽な監督から学んだ。


なぜなら僕が反抗すると他の選手達に迷惑がかかるからだ。
僕の尾崎豊ばりの反抗は、部活全体に「連帯責任」をもたらしていたのだ。
だから引くときは引く。
そうすればみんながやりたい「サッカー」は出来る。
僕の「個人的な納得いかない気持ち」を消せば、サッカーが出来る。

そんなことを学べたのは、あの理不尽な「プレイ」があってこそなのだ。


ということで、こんな芦田太郎の部活個人史などには
僕個人が感慨深くなるだけで、第三者からすれば
さほど興味が持てないのと同じで、
アンドリューとフレッチャー先生との「究極のツンデレプレイ」を
100分見せられたとしても、そこにカタルシスは無い。


巷で噂の「衝撃のラスト」何て特に、お互いの表情を見ていると
「究極の師弟プレイ!!!!絶頂寸前!!!!」にしか見えないわけで。
この距離感!














だから個人的には、世間の評価ほどこの映画を楽しめなかった。
なぜここまでこの映画は評価されたのか?

みんな「プレイ」を「する」方じゃ無く、「見る」方が好きなの?






2015年4月19日日曜日

映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』92点



「意味わかんないだけど」


観賞後、前に座っていたヤングな女性が乾いた声で言い放った。


そんな彼女の背中を綿谷りさばりに、蹴りたい。
っていうのは嘘だけど、

「意味なんてわからなくて良いのだ!この映画は!」
と、背中ごしから言いたい。


でもきっと彼女はこういうだろう。


「じゃあどこが面白いの?」


いや、そもそも2時間近くワンカット長回しでとってるとかあり得ないから!
あの撮影どれだけ大変かわかってんの?
イニャリトゥ監督がすべてのシーンで、
俳優の顔の向き、動作も事前に決めて1発勝負で撮影してんだぞ!
革新的撮影監督エマニュエル・ルベツキ!
『ゼロ・グラビティ』もこの人。

















「それってスゴいのもしれないけど、話の面白さと関係ないじゃん…」


いや、バカ!
マイケルキートンが落ちぶれたアメコミ俳優っていうパロディから始まり、
随所でアメコミを全力でバカにした感じとか、
映画業界全体、それを批評する批評家にすら全力で中指立ててる感じとか、
エドワード・ノートンが個性派俳優過ぎて成立してない人格破綻者だったり、
ナオミワッツが演技力あるのに全く売れない女優で、しかもレズって設定とか、
名作『マルホランド・ドライブ』のパロディってわかんなかったの?
この人にさえない女優の役やらせて右に出る者いるの?














「わかんないし…そもそも興味ないし…そもそも結末なにあれ?」


いや、感じろよ!
サブタイトルから感じろよ!
無知が奇跡をもたらしたんだよ!
無知だからこそ彼は真のバードマンになれたんだよ!
あのエマ・ストーンの絶妙な「パパやったわね!」って顔見たらわかんだろ!
パパを全力でディスるシーンも
息を持つかせぬ迫力で最高だった


















「はぁ?結局何が言いたいわけ?あなたとは笑いのツボが…」


いや、こっちこそこの批評性と芸術性と技術が結集された、
まさにアカデミー賞にふさわしい作品を感じられないお前は願い下げだ!


という、
どちら側の人間も、この映画の餌食になっていて、
まさにこの映画そのものである。


だからこの作品の興行収入が、
アカデミー賞・作品賞歴代受賞作の中でワースト2位
(ちなみに1位は『ハート・ロッカー』)であることも
ある意味納得できるわけで、簡単に言えば見る人を選ぶ映画なわけだ。


映画が好きな人は一人で静かに見に行くか、
映画好きの友達と観に行って、熱い映画談議を交わせばいいし、

「映画デートで決めにいくぜ!」という、付き合うには至っていない
女を口説きたい奴は『エイプリルフールズ』とか観に行けばいいし、

というわけで、この92点は自分自身に言い聞かせる92点とします。


個人的には最高に好きな映画で、絶対にDVD買うし、
もう一度観に行って、自分なりに解釈しようと思います。

って言ってる俺かっこいい。的映画の極致。


「この映画を面白いと言える俺カッコいい」

あるいは逆に、

「この映画を認めたら映画をわかってるとは言えない」的映画の極致。

それがバードマン。そしてそいつもバードマン。












2015年3月27日金曜日

映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』83点

2015年3月22日観賞。

アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞など
計8部門にノミネートされた秀作。

確かに面白かった。

映画の中身より何より驚いたのが、
監督がモルテン・ティルドゥムだってこと。

この人はこのブログでも書いた『ヘッドハンター』という映画で、
ノルウェー史上最高の興行収入をたたき出した鬼才。
ノルウェーのタランティーノ現る!
みたいなキャッチがついていた
























まだ3作しか撮ったことないノルウェー映画界期待の新星を
こんな大作に抜擢したプロデューサーのセンスと手腕、
そしてそれにしっかりと応え、良作を完成させたティルドゥム。

初のハリウッド作品とは思えないくらい
ヘッドハンターでも発揮されていた
綿密な脚本と、鮮やかなストーリー展開で、
描きようによっては絶望的な映画にしかならないこのお話を
しっかりエンターテイメント作品、良い意味での大衆的映画に昇華させている。


あまりストーリーに触れてしまうと
興ざめネタバレって感じの映画なので、多くは語らないが、
イギリスの天才暗号解読者アラン・チューリングのお話。

そんなチューリングを演じるのがベネディクト・カンバーバッチ。

「世界で最もセクシーな映画スター」にて1位に選ばれたり、
今世界的に熱狂されている人なんだけど、
何がかっこいいの?って聞かれたらハッキリと応えられない類の男。
これは「イケメン」なのか?














この男の人気を不動のものにしたのがドラマ『シャーロック』。
やっぱり何度見ても「イケメン」なのか…?











誰もが一度は脳みそでイメージを作り上げたことがある
一癖も二癖もある世界的名探偵ホームズ役を
「この人ほんとにホームズなんじゃない?」
って思うほどの親和性と独特のニヒル感で演じきった。


で、そんな『シャーロック』を見ている人なら、
天才にありがちな社会不適合者ぶりを発揮するチューリング役への
キャスティングは、何の違和感もなく受け入れられる。
天才ってどうしてこうも変人なんでしょうか。


そしてこの映画が優れていると評価できるポイントは、
鬼才チューリングの半生を小気味よいテンポでコミカルに描いていて、
(映画館では何度も笑い声があがっていた)
それでいてマイケル・サンデルばりの道徳授業が展開され、
その切なく苦しすぎる決断に胸を打たれる…
天才は常に孤独…

















という、映画の究極であるエンターテイメントという観点で切り取った時に
様々な要素で楽しめるという点だ。

泣いてる人もいたし、笑ってる人もたくさんいた。
それは表面的ではあるが映画としての質の高さを証明している事象だ。

ただ個人的に物足りなかったのは
ナチスが誇るエニグマ暗号解読して「よっしゃー!!!!」ってなって、
そこから第2次大戦の様々な局地戦を勝利していくって
一番カタルシス感じれるプロセスをナレーションベースにしている所。
この辺までは順調にカタルシスへの階段を上がっている
















おそらくエニグマ解読に全てを捧げた男の物語だから、
解読後はさほど大切ではないという判断なのか…
勝手にこちらが欲しがったカタルシスだけど、
無いなら無いで文句を言うという勝手な観賞者…


でもこの映画はとても面白いし、良い映画だと思います。
個人的に大好きなキーラナイトレイもとても良い味を出していました。
彼女のベストは何と言っても『ドミノ』ですが。














というわけで、誰がいつ観に行っても
「あ~なんだよこれ時間の無駄だった…」
とはならない、お金を払う意味がある良作でした。

2015年3月7日土曜日

映画『アメリカン・スナイパー』85点


2015年3月1日観賞。
良い映画だった。

評価すべきポイントは大きく分けて2つ。

●単純な戦争賛否映画では無い
●無音のエンドロール


しかしまず、この映画が空前の大ヒットするアメリカという国は本当に奇妙だ。

「アメリカ人は一体どんなメンタリティーでこの映画を観るのか?」

そんな疑問が映画冒頭から終わりまで消化されること無く
イーストウッドは淡々と「史上最強の狙撃手」と呼ばれ、
160人を射殺したクリス・カイルの人生を描く。

カイル役を演じたクーパーは役作りで18キロ増やしたという














アメリカ本国では戦争賛美映画だとか、
この映画を批判する奴は極左だとか、
賛否両論渦巻いてるらしいけど、
個人的には、これは全くもって戦争賛美映画ではないと感じた。


まずこの映画は、戦争映画らしい、
「俺たちの軍隊最強だぜ!おらー!!!!」的な
街中で銃撃戦おっぱじめて、敵をランボー的に派手に射殺したり、
爆弾落として街ごと殲滅させたりという軍事的抗戦が
ほとんど描かれていない。

映画の中心は、クリス・カイルが圧倒的な狙撃技術で
女・子供関係なく「イラクの野蛮人ども」を射殺していくシーンなのだが、
(※カイルは終始映画の中でイラク人を「野蛮人」と呼んでいた)

この一見ただのスナイパーものに見える射撃シーン、
実は究極のニヒリズムを抱えている。

そのニヒリズムの正体を解説する前に整理しておきたいのが、
爆弾を手に持ったイラク人の女・子供に照準を合わせたカイルに、
こんなふうに「お前の判断で撃て」と指令が来るシーン。











なぜ引き金を引かなければならないのか?














こんな指令を年中受け続けたらそりゃPTSDになって心蝕まれるわ!
っていう「戦争って本当に恐ろしい・・・」という月並みな感想と、
さらにこの指令を受けて女に照準を合わせて、
何とも言えない苦しみの表情を浮かべながらも任務を遂行するカイル。
アカデミー賞主演男優賞ノミネートと、
演技力の幅を見せつけたクーパー















当然それを繰り返し、心を病んでいく・・・
というストーリーを見て、「戦争って本当に恐ろしい・・・」という
月並みな感想ミルフィーユがもう一層追加される。

でもこの映画が本当に皮肉的で、
個人的に評価したいのは、そこではなくて・・・

この映画内でもそうなのだが、
カイルは「殺された相手を気の毒に思ったことはないか」と問われ、
毎回明確に「全くない。戦場ですべきことをしただけだ」と答えている。

これだ。
本当に恐ろしいのはこれ。

アメリカ史上最高の狙撃手は、何度も言うように
女であろうと子供であろうと躊躇無く殺す。

なぜならそれは「戦場ですべきことをしただけ」だから。

つまりイラクはアメリカ国民共通の敵であって、
大量破壊兵器を持った「野蛮人ども」であるとカイルは「信じている」からだ。
彼の中での「正義」は、そこにある。
いかに悲しげで苦悶の表情を浮かべても、それでもイラク人を殺す、
なぜならカイルはそれが「正義」だと「信じている」からなのだ。


だけど皆さんご存じの通り、そのカイルが「信じている」
イラクが敵だという根拠=大量破壊兵器は「無かった」のだ。

ただひたすら「国のために」、「9・11」で殺されたアメリカ国民のために、
「9・11」で傷ついたアメリカのために、
史上最高の狙撃手クリス・カイルは、「戦場ですべきことをした」のに、
実はその戦争に根拠や正義は存在しないに等しかったのだ。

そんな現実が明らかになった、今、2015年に
この映画をアメリカ人はどんな気持ちで見ているんだろうか?

大ヒットする国民心理って一体どうなっているのか?
奇妙、奇天烈すぎるアメリカという国。


そして何と言ってもこの映画は、ラストのエンドロールにしびれる。
一部話題にもなっていたが「無音」なのだ。
音楽が無いエンドロールって見た記憶が無い。

映画館は、「お前ら静かによく考えてみろ」と
イーストウッド大先輩にスクリーン越しから言われているかのような
奇妙な静寂に包まれていた。

この静寂は劇場で見なければ味わうことが出来ない。







2015年2月16日月曜日

映画『フォックスキャッチャー』80点


2015年2月15日観賞。


今年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、
アカデミー賞でも5部門にノミネートしている作品。


監督のベネット・ミラーは、
『カポーティー』やブラピ主演の『マネーボール』が有名だが、
ドキュメンタリー出身の監督らしく、
実際に起きた事件を徹底して静かに淡々と描ききった秀作だった。


その実際に起きた事件というのは、

1996年にアメリカで起こった
デュポン財閥の御曹司ジョン・デュポンによる
レスリング五輪金メダリスト射殺事件

というもの。



とにかくこの映画の特徴は、先述した通り、
実際に起きた事件を、大衆映画らしい大団円や脚色を一切排除し、
徹底的に淡々と描ききっていると言うこと。

そしてもう一点は、が登場人物を通して
「人間の愚かさ」が凝縮されているという点だ。


その愚かさをいくつか紹介すると、まずは「金持ちの愚かさ」。
スティーヴ・カレル演じるジョン・デュポン。
この演技が正にアカデミー賞級のインパクト。
ずっとこんな顔してるデュポン
















写真見返すだけでもゾッとするほどのクソ御曹司っぷり炸裂で、
「狂気の沙汰」という言葉しか見当たらない。

金に物言わせる&人を見下す=友達いない&マザコン・・・
有吉さんに良いあだ名見つけて欲しいくらいクソ人間要素の宝庫。

超通俗的感想だが、「金持ってれば良いってもんじゃないな」って
この映画のデュポンが証明してくれている。


で、このクソ人間の金に物言わせる感に見事に引っかかるのが
体育会系筋肉バカのチャニング・テイタム演じるマーク・シュルツ。

ロス五輪のレスリングで金メダルを獲得したのに金が無い。
インスタントラーメン食って次のオリンピックに備える。
そんな貧乏な金メダリストに目を付けたのがデュポン。

大豪邸に招かれ場違い感が凄いシュルツ
















お前のスポンサーになってやるぜ的なデュポンに
「最高だ!この人最高だよ!やっと俺のことわかってくれる人が!」
ってな具合に瞬間的に心酔してしまう。

そんな役を演じたチャイニング・テイタムの演技も見事なモノで、
ゴリラみたいな歩き方したり、
お前脳みそ筋肉かよ!って突っ込みたくなるような言動を見せる。

で、それを見下してコントロールしながら、デュポンさん最高です!
って言わせるデュポンという構造。

で、そんな構造からなぜ殺人事件に至ってしまうのか?
そこ説明しちゃうとこの映画を観る動機を無くしてしまうので書きません。


ただ言えることは、この映画はとても怖いです。
基本的に静かな映像が淡々と流れるので、
デュポンの狂気じみた顔や所作の怖さが倍増する効果を持っているし、
鼻でかいな・・・と思ったら付け鼻らしい!
















チャイニング・テイタム演じるシュルツの兄貴役のマーク・ラファロ
めちゃくちゃ演技上手いし、何よりこの映画唯一の正義を感じさせる
救いの役割にも成っているし、
映画全体としてとてもレベルの高い作りになっていると思いました。

ただデート映画ではありません。
何せ明るい映画では無いので。

まぁカンヌが選ぶ映画って時点で大衆迎合的では無いので、
逆にこの映画見に行こうって誘ってくる女の子がいたら
それはそれで逆に何を狙っているんだと訝しがってしまう
難しい映画って言う結論で良いですかね。






2015年2月4日水曜日

映画『LUCY/ルーシー』67点


劇場で観たかったけど、DVDにて観賞。

『レオン』以降、少し映画が好きな人であればだれもが

「この人絶対才能あるんだけどな…おかしいな…」
的な監督ランキング圧倒的上位に食い込むリュック・ベッソン先生。


今回も『マラヴィータ』同様、きっとダメなんだろう…
予告動画は面白そうだけど…


なんて、なぜか少しすね気味で観賞スタート。


設定としては、「人間の脳は、10%しか機能していない」
っていう大命題がまずあって、

スカヨハちゃん演じるルーシーが、わけのわからん状況に巻き込まれ、
10%を100%まで機能させる薬を体内に吸収したことによって
とんでもない人間に変貌して、
「おっす!おら悟空!」並みの強さを手に入れ、大爆発!
最強感の割にはちょっと太くない?って感じが逆に良い















って映画。


感想の結論から言うと、個人的には

「リュック・ベッソンって(良い意味で)超バカじゃん!」

「超バカ」って感想は、ネットで少し検索すれば出てくる
この映画に対する賛否両論の否にも当てはまる部分はあるんだけど
きっと彼の脳みそを総結集させると、こういう映画が出来上がるというか、
こういう映画を作りたいんだなと。
こんな風に他人の携帯電話の会話を聞き取ることが出来ます
そこに「なぜ」という解説はゼロっていう逆の爽快感














レオン的な哀愁漂うハードボイルドではなく、
こういうハチャメチャな、ある意味コメディにすら見える
アクションムービーを作りたいんだなと。
だからこの映画を見終わって、ある意味
「これぞリュックベッソン!」って映画なんじゃないかこれは!
と思い始めてもおかしくないくらい突き抜けた作品になっている。
こんな風に人を浮かせることも出来ます
そこに説明は一切ありません












とはいえ、『taxi』シリーズで腕を磨いた
カーチェイスシーンは、やっぱり世界最高レベルと言っても
過言ではない緊迫感と迫力だし、
スカヨハちゃんの何とも言えないキックアス感も良い味出してた。


でも一番笑えたのは、いや、面白かったというべきか、
「人間の脳は、10%しか機能していない」っていう
この映画の根幹となるテーマへの学術的アプローチ。

モーガンフリーマンがそれに関する権威的な学者を演じてるんだけど、
大学で講演するシーン「冒頭」あたりは、















「ほうほう、なるほど。人間より脳を使ってるのは唯一イルカなのね…」

と、観ているものを「それなりに」世界観に引き込む説得力を持つ
展開を見せつけてくるのだけれど、その展開は早々に挫折する。

挫折してないのかもしれないけど、途中からなんかめちゃくちゃになる。
突っ込みどころ多すぎて、芸人ですら突っ込みを放棄したくなるほど
破天荒な展開に、疑問に思う俺がバカなのか?と思うほどベッソンは突き進む。


そこで思うのは、
リュックベッソンがバカなのか、それともリュックベッソン的には
「そんなの関係ねー!」というスタンスなのか?


最近見た『インター・ステラー』の、正解がどうか全くわからないけど、
とりあえず最新学説盛り込みまくってます!どや!に
結局負けて、何となく分かった気になって観賞続行!みたいな世界観には
到底及ばない説得力の無さ、設定の無茶苦茶度合がずば抜けている。
で、設定や脚本って言うのはそこまで行ききると、
もはや面白くなるわけだけど、
その面白さの方向が向かう先はコントにしか見えない。


賛否の「否」を言う人たちは、きっとこのコントブロックへの嫌悪感だろう。
だって全く支離滅裂で納得感ゼロだから。


でも個人的にはリュックベッソン好き勝手やってるなー感を
思う存分感じられて、逆に好感を持てた。


だから実際映画の完成度とか脚本の綿密さとか言い出すと
50点くらいの作品なんだろうけど、
個人的にはリュックベッソンってホントバカだな!最高だわ!
89分って言う尺も最高!
でももっと短く出来るよベッソン!あの後半の人類の起源的なCGいるの?

って結局最後まで突っ込み所満載のベッソンはちゃめちゃ映画は意外と面白いぜ!
って意味でこの点数に落ち着きました。



2015年1月20日火曜日

なぜ映画を観るのか?vol.2

以前、『なぜ映画を観るのか?』という記事を
映像制作に携わる人間の観点として書いてみたりしたが、
それとはまた違う観点で「なぜ映画を観るのか?」に対する答えを
最近見つけたので少し書いてみようと思う。


何か辛いことや、やってられないことがあったら、
ローン・サバイバー(78点)』のDVDを観ることにしている。

なぜなら

「この映画の主人公達以上に自分が絶望的であることは絶対にあり得ない」から。


この映画の主人公は世界最強とも言われる
アメリカの海軍特殊部隊ネイビーシールズの4人だ。












彼らの何がどう最強かというと、
訓練期間中に8割以上が脱落する中で生き残り、選び抜かれた最強部隊なのだ。

その想像を絶する絶望的で過酷な訓練は、
映画の冒頭にも実際の映像らしきものが差し込まれるのだが、

両手両足を縛られて、プールに突き落とされるという
もはや過酷というレベルを超え、拷問に近いものだ。

そんな訓練をくぐり抜けた猛者どもの最強ぶりは様々な映画でも描かれていて、
キャプテン・フィリップス(82点)』では、
数百メートル離れていて、さらに揺れた船の上から、
揺れた船に乗る海賊を一発で射殺するという離れ業をあっさりとやってのけたり、


ゼロ・ダーク・サーティー(84点)』では、
あのビンラディンの暗殺をした部隊でもある。















その世界最強の男達が圧倒的な絶望的状況に追い込まれるのが
この『ローン・サバイバー』だ。
最強の男達が体中ボロボロ。血だらけ。















この映画、何が絶望的かって、
米軍4人に対してタリバン300人以上。しかも実話。

全身骨折は当たり前。
そこにはハリウッドお決まりの「お前はなぜ打たれないんだ!」的な
お決まりの主人公だけはなぜか被弾しないなんていうフィクションは存在しない。

全身あらゆる箇所をタリバンに打たれまくって体中穴だらけ。血だらけ。

タイトル通り一人しか生き残らない。
世界最強と言われるネイビーシールズの彼らでさえ、多勢に無勢。


それでも彼らは死ぬ間際まで世界最強の部隊としての意地を見せ続ける。
圧倒的な射撃の腕はもちろん、
打っても打っても数が減らないタリバン軍団に、
信じられない角度の断崖絶壁まで追い込まれて、
万事休すかと思ったら、1秒の間もなく「飛び降りるぞ!」と4人ともダイブ!













極限に追い込まれてもなお、この決断力、判断力の早さ!
当然石ころのごとく断崖絶壁を転がり落ちる彼らは全身ボロボロ、
各所骨折のままさらに追い込まれていくのだが・・・


そう、つまりなぜこの映画を観るかというと、
この人達の絶望感に比べれば、自分の痛みや悩みなどたいしたことは無いと。
むしろ比べることすらおこがましい。


こういう映画の使い方、見方もある。それが今回の結論。


2015年1月3日土曜日

映画『DOCUMENTARY of AKB48 The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?』採点無し




4作あるAKBのドキュメンタリー映画は、これまで全て観てきたが、
※前作の感想はコチラ
今作は過去最も多くのイベント・事件
(大島優子卒業・握手会襲撃事件・総選挙など)が
収録されていると言っても過言ではない。

が、皮肉にも最も内容の薄いドキュメンタリーとなってしまっている。
と、悲しいかな、個人的には思う。


「AKB」というシステムを構築し魅力たらしめている根幹である
「物語性」みたいなものがもはや限界に来ていて、
この映画内では、あらゆる角度からお話にしていこうっていう
意気込みだけは伝わってくるけど、
それは結局大した波=物語にはならないという
非常に辛いジレンマを感じる作品だった。

※AKBの物語性から見る楽しみ方についての記事はこちら
→『AKB48について


紅白歌合戦で突然発表された大島優子の卒業に
動揺を見せるメンバー、泣きじゃくるメンバー、
それぞれの表情を見れば感情の起伏は十二分に伝わるし、
衝撃を与えた出来事なんだろうな、くらいは分かる。


だが、この映画では、その「事件」をキッカケにして、
起きるべき「物語」は発生しているようには見えない。

あるとすれば、大島の卒業を期に、
「自覚を持った渡辺麻友が指原を破り1位になった」
というファンじゃ無くても知っているような、
深読みの必要が無い公然のつまらない事実だけで、
映画を観てもそういったことしか読み取ることが出来ない。


かつてブログに書いたような「前田敦子の卒業」から読み取れる
「物語」は全く存在していないのだ。だから面白くない。
ただ若くてそこそこ可愛い子達が右往左往していて痛々しいだけだ。


だから「大組閣」と題した非常に内輪向けのイベントで、
(AKBがSKEいったり、NMBがAKBいったりみたいなイベント)
名前も知られていないような若手の子が、ただ一人名前を呼ばれず
過呼吸で運ばれてしまっても、そこに物語が存在しないので、
本当にただただ惨めでかわいそうで痛々しい少女が過呼吸に陥っている
映像にしか見えなくて、思わず再生ボタンを留めそうになるほど、
無意味で不快な時間だった。


世間を騒がせた川栄・入山の傷害事件も、
映画内の描かれ方では結局、
「暴漢に刺された」という「点」の事実のみであるから、
ニュースを見ているのとさしも変わらない不愉快さを感じるだけなのだ。

別にこの事件をおもしろおかしく物語にして欲しいというわけではない。
こんなどうしようもない事件すらも映画に盛り込まないといけないほど
現在のAKBには「物語」が失われてしまっているのか?ということだ。


こんな現状をシステムの限界と呼ばずして何と言えば良いのだろうか。



そんな限界尽くしのAKBを支え続けた大島優子はついに卒業した。

この映画内で唯一物語性を感じ、切なかったのが、
大島優子が卒業に際してのインタビューで語っていた内容だ。


AKBを何のためにやっていたのか考えてみたんですけど・・・
最初はもちろん自分のためだったけど、いつの間にかシフトチェンジした。
それは、仲間のためにAKBをやっているんだ。
仲間がいるから、自分が頑張れば仲間も絶対良くなる。
仲間のためにやってたなって、ここ何年かで気付きました。
だからどんどん仲間がやめていったから、心細くなっちゃったんですよね凄く。


卒業したら誰もが晴れ晴れしい顔になるのに、
哀愁と悲しみすら感じさせる顔でこんなことを語っていて、
ブログに書いた事『大島優子の卒業について』と一致しすぎて、
新年早々何とも言えない気持ちになった。

以下ブログより

かつて秋元康は
「AKB48とは「大島優子の一生懸命さ」のことである」
と言ったらしいが、
誠にこの言葉は正しく、
大島優子が一生懸命になればなるほど
前田敦子は唯一無二の絶対的センターになり、

そんな前田去りし後は、
大島優子が一生懸命になればなるほど
後輩達にとっての越えるべき壁としての
存在感、意味が増すという哀愁。


この映画の「物語」は大島優子にしか無かった。
この写真の表情からだけでも、
少しAKBを知っていれば語りたくなってしまうような、
そんな「物語」を全力で作り上げてくれた彼女に心から拍手を送りたい。