注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2014年7月27日日曜日

映画『her/世界でひとつの彼女』77点


2014年7月27日観賞。

鬼才スパイク・ジョーンズ最新作。

信者の多い監督だが、この作品の評価は軒並み高く、
批評家支持率は94%、平均点は10満点中8.5点、
さらにアカデミー賞5部門にノミネートされ、脚本賞を受賞している。


というわけで、それなりにハードルを上げての観賞になったわけだが、
なるほど確かに、新たな「SF映画」の金字塔と言っても過言ではない、
スパイク・ジョーンズ炸裂の恋愛SF映画だった。


正直僕は特に好きでも嫌いでも無いスパイク・ジョーンズ作品だったが、
その完成度は中々のもの。


一見チープなSFになりかねない

近未来のロサンゼルスを舞台に、コンピューターの音声アシスタントに
心を抱いた男を描いたラブストーリー


という設定を、非常にレベルの高い細かな演出やCGを効果的に散りばめ、
色彩豊かで美しいセンスフルな映像世界を構築し、
PCの声はスカーレット・ヨハンソン。良い味出してた。

妙にリアルで饒舌な謎のキャラ。劇場の笑いを誘っていた。


































あたかもこんな近未来って目の前にもうあるんじゃ?
これは新たな非リアの恋愛形態を描いているかもしれない!と思わせるのは流石。


主人公を演じるホアキン・フェニックスが生きる現実世界には、
超美人の奥さんルーニー・マーラエイミー・アダムスがいるのに、
あまり登場しないが哀愁漂う存在感は流石。
でもなぜ離婚したのかよくわからず。

この見た目で39は驚く。

































見向きもせずに、人工知能を持ったコンピューターとの恋愛に明け暮れる。


愛する妻(ルーニー・マーラ)との離婚で傷つき、
孤独に耐えられないメンタル状況で、本来頼るべきは、
エイミー・アダムスが演じた「友人」であったり、「家族」であったり、
そういった自分以外の他者=人間である。

そんなことは、人類誕生以来、疑いすらもしない、もはや「事実」と
呼ぶことすら憚られる自明の真実であったはずだが、
もはや時代はその常識を覆す時代に近づきつつあるのだ。
と思わせるに充分な世界観を構築するスパイク・ジョーンズ。


自分の傷を癒やすのは、生身の「人間」でなくても成立してしまう。
それが人工知能OSサマンサだ。

傷ついた主人公は、サマンサに出会ってから、
右耳にイヤホンを付け、目の前には「実体」が見えない相手に対し、
「人間」には見せない喜怒哀楽を見せ始める。

サマンサとの会話に幸せそうな笑顔














それらのシーンを見させられ、本来感じるべきは、

街中でスマホを耳にかざさずに、イヤホンしながら楽しそうに
会話する人を見るときに感じる多少の気持ち悪さを十倍くらいにした
気持ち悪さのはずなんだけども、この映画にそれほどの気持ち悪さは無い。


なぜなら彼はとても幸せそうだからだ。
生身の人間とふれあうよりもずっと。
生身の人間とセックスするよりも数十倍気持ちの入ったセックスをするのだ。
相手は声だけなのに。


少し話を脱線させるが、スパイクジョーンズの前妻ソフィア・コッポラが、
旦那と一緒に来た東京で置き去りにされた体験をもとに
『「ロスト・イン・トランスレーション』を撮ったと言われている。
この映画の主人公がスカヨハであるのも暗喩的























ロストイントランスレーションが、
スパイクジョーンズによって孤独を感じさせられた
ソフィアコッポラの気持ちを描いた映画だとすれば、
『her』は、スパイクジョーンズの心模様を代弁させた映画にさえ見えてくる。


そんな主人公がこの映画の最後に辿り着く場所は…映画を観て確認して欲しいが、
幸せ全快に見えていたOSとの恋愛が映し出す恋愛は、
果たして本当に「幸せ」なのか?
未来における人間の「恋愛」として成立すべきなのか?

そんなことを考えさせられる秀作でした。


ただ、声だけのセックスシーンと、
「声」を利用してこんな方法のセックスがあるんだ!
って思わせるシーンが無駄に長い感じは、
スパイク・ジョーンズの鬼才変態っぷりを感じるに十分な尺でした。


2014年7月6日日曜日

映画『グランド・ブダペスト・ホテル』77点


2014年7月6日鑑賞。


「天才」「もう一人のアンダーソン」ウェス・アンダーソン監督作品。


確かに、この人にしか撮れない映画という作品。
何か美しい絵画を美しい美術館で何枚か見せられたような、
そんなファンタジックでアートな映画。

つまり、逆に言えばこの映画は、アートとして、美術として見る映画であって、
観賞後に何か心にずっしりくるだとか、考えさせられたりとか、そういう映画ではない。

随所に可憐な色使いが散りばめられた幻想的な世界観はとても美しい。
















色遣いのセンスは抜群。勉強になります。














また、ミステリー映画としても非常にコンパクトにまとまっていて、
映像美とともに最後まで飽きずに観ることができる。


さらに随所に織り込まれるコントチックな笑いも小気味いい。
だが、映画館全体も笑いに包まれているのを見ていて、
この類の笑いを作り出す技術や洗練度合いでいうと、
「日本のコント」というのは、やはり一つ別の次元に来ていると思った。

個人的な話になってしまうが、自分がこの業界に入る絶対的な要因となっている
「ごっつええ感じ」のコント
(以下、大好きな「しょうた!」今のテレビでは絶対に放送できない…)や、



ウッチャンやさまぁ~ずやバナナマンや、一線で活躍する芸人が織りなす
「コント」はもはや、欧米の映画が繰り出す「コント的笑い」の質を
当の昔に飛び越え、その1つも2つも上の笑いを提供している。
(以下、バナナマンの最高傑作ともいえるコント)



だから、何が言いたいかというと、
そういう人たちにそんな映画を撮ってほしいということだ。

そんな結論でこの映画のレビューを終えたい。


2014年7月4日金曜日

映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』73点


2014年7月4日鑑賞。

予想以上に面白かった。


評価すべきは「何度も死んで何度も人生リセット」という、
一見新しさの見当たらないフィクション的設定を

ダグ・リーマン監督が「さすがボーン・アイデンティティーを作り上げた男!」

と思わせるハイテンポな編集と映像で作り上げた点だ。


それにあいまって、
膨大な出演作の中から「完全な駄作」を見つける方が困難な男トムクルーズが
ヘナチョコ男からループを繰り返すことで、完全無欠のヒーローに成り上がる様も
非常に爽快で、アクションシーン、戦闘シーンも非常に見ごたえがある。

この人の動きの切れは衰えることを知らない















さらに、『プラダを着た悪魔』とは見違えるように「強い女」と化した

エミリー・ブラントも肉体を見事に鍛え上げ、

さらに悲しげなヒロインとしても非常にうまく演じきっている。

このシーンが一番美しい。監督も絶対そう思って撮ってる。














それによって、そこに大した感動はないが、
シンプルな恋愛ストーリーとしても楽しめて、映画の奥行きを助けている


「ギタイ」は想像以上に気持ち悪いエイリアンで、
エンディングは予想通り過ぎるスーパーヒーロー的結末ではあったが、
「ループもの」に陥りがちなテンポの喪失と、
妙な思想的、哲学的演出に陥ることなく、
エンタメ映画としてしっかり完成された、夏休み映画にふさわしい爽快な一本であった。