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※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2014年2月23日日曜日

映画『メイジーの瞳』78点


2014年2月23日観賞。


非常に前評判が良い映画だったので観てきた。


確かに優れた作品だったけど、何よりもまずメイジーが可愛い。
この悲しげな「瞳」が抜群













そして情けないくらいにメイジーを取り囲む大人達が自分勝手。
そんな映画。



そんなメイジー役を演じた2005年生まれのオナタ・アプリールは、
まさに「天才子役」という言葉がふさわしい。


そしてそんな彼女の「天才ぶり」を引き立たせているのが
この映画の演出方法である。


それは、このブログで評価した『桐島、部活やめるってよ』や、
オンリーゴッド』にも通じる、アンチ台詞主義とも言える演出法だ。


メイジーはタイトル通り「瞳」で、観賞者側にその感情を伝える。
「辛い」だとか「楽しい」だとか、そんな感情を表現するために
用意された「台詞」をほとんど発することは無い。
本当はとても「辛い」のに。
こんな風に「表情」だけでその時の感情を表現する

















ではなぜメイジーは「辛い」のか?


この物語で6歳のメイジーは、とても複雑な境遇に置かれている。
多忙でほぼ家にいない美術商の父と、ロックスターの母。
二人とも自分中心で地球が回っている

















この二人はとにかく自由でお互いにプライドが高く喧嘩ばかり。
当然、そんな夫婦は離婚するしか選択肢は無く、
メイジーはそれぞれの家を行ったり来たりすることになる。

それだけでかわいそうなのに、
メイジーは真夜中に移動のためにたたき起こされたり、
メイジーの目の前で放送禁止用語連発の大げんかをしたりする。

そこでメイジーは何をしているかというと、
ただただ黙ってその様子を見ている。そして受け入れる。
















「パパ、ママ、もう喧嘩をやめて!」

そんな昼ドラみたいなちんけな台詞は一切発しない。
とにかく彼女は悲しげな「瞳」で、ただただ静かに観ている。

だってそりゃそうだ。
6歳の子供が、大好きな両親が目の前で喧嘩していたら
怖くて何も言えない、そんなの当たり前じゃ無いか?

自分の両親が喧嘩しているのはほとんど見たことがないが、
軽い口げんかみたいになっているのを目の前で見るのさえ
とても不快で、一刻も早く終わって欲しかったけど、
何か怖くて、ただただ見ていた記憶がある。

子供なんてそんなもんだ。
何も言えない。何も言える力なんて持っていない。
だから両親は絶対に子供の前で喧嘩するべきじゃ無い。

なんていう教育論を語りたいわけじゃないんだけど、
そういうメイジーの「感情」を画の力だけで
観客に想像させるという演出はとても際立っていた。


そんな演出方法を徹底した映画だからこそ、
メイジーのかわいそう度合いと大人のクソっぷりが際立つ。

あれだけ

「メイジーは俺のもんだ!」
「メイジーは私のものよ!」

とか、声高に叫んでいた両親はというと、
忙しい父はベビーシッターに、母は新恋人にメイジーを預ける始末。

カリスマリーダー役のスカルがルド。
やっぱりイケメン!
ちなみに右はベビーシッター

















両親は決して悪い人ではないし、
メイジーも彼らのことがとても好きなことは伝わるんだけど、
二人そろってとにかくメイジーに会うと目一杯抱きしめて、

「メイジー愛してるわ。本当に愛してる!」

とか言う。


ところが行動に言葉が伴っていないから
とてつもなく薄っぺらく、浅はかで、何も心に刺さらない。


そう、メイジーが言葉に頼らずに喜怒哀楽を示してくれるのに対して、
このシーンが一番好き
この映画のもう一つの優れた点はメイジーの衣装
超可愛い
































下らない大人達は、「言葉」でメイジーとの隙間を埋めようとする。
そんな方法では隙間は埋まるはずが無く、溝は広がる一方。

その向かう先は・・・
ネタバレになるので書かないが、是非とも作品を観て確認して欲しい。


ついでに褒めると、この映画は抜群に画が美しい。
そしてメイジーの衣装センスが抜群。
こんな服が似合う娘の方が少ない気もするけど























そんなこんなで、現在の映画界における流行とも言える
アンチ台詞主義的映画として質の高い一本であった。


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