注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2013年7月20日土曜日

映画『コンプライアンス-服従の心理-』73点



何かのネットサーフィンついで見つけて、気になって、
一人で新宿シネマカリテまで観に行ってきた。
そして、前評判通り重厚な良作だった。


ポスターを見て気づいた人はなかなかの通だけど、
主演はゴシップガールにも出ていたドリーマ・ウォーカー














この映画は決してホラー映画であるわけでもないし、
人は誰も死なないし、殺されもしない。
だけど、とても怖い映画だ。


ベースとなるのはアメリカで裁判沙汰にも発展した実際の事件。
Wikipedia先輩から引用させて頂くと、その事件の概要はこうだ。


ストリップサーチいたずら電話詐欺事件
2004年に犯人が逮捕されるまで約10年間続いた、
一連の事件の総称である(サーチ=身体検査)。
犯人はレストランや食料雑貨店に電話をかけて警察官を自称し、
「警察への協力行為」の名のもとに店長らを誘導、
女性店員を裸にして身体検査をしたり、
その他の異常な行為をするよう仕向けた。
狙われた店の多くは、小さな田舎町のファーストフードレストランだった。

一連の犯行は70件を数え、行われた場所も30州もの広範囲にわたっていた。
最後に起こされた2004年のケンタッキー州マウントワシントンにおける犯行から、
当時37歳で、アメリカの刑務所・収容所運営会社である
コレクションズ・コーポレイション・オブ・アメリカの従業員であった
デビッド・スチュワートが逮捕された・・・



ひたすらに奇妙で信じがたい事件だが、
この映画では、なぜこの事件が起きてしまい、
副題にある「服従の心理」に至ってしまうのかが、
リアルかつ克明に描かれている。


電話一本で少女が裸にされてしまうという信じがたい
実際に起きた現実をフィクションを通して克明に突きつけられた
観客は目を背けたくなってしまう。



・警察からファストフード店に電話あり
・警察「あなたの店で働く少女は客のお金を盗んだ」
・警察「今別の捜査で忙しいからとりあえず少女を店から出すな」

観客である、客観視している私たちは、この時点でおかしいだろと思う。
気付けよ店長!そんな警察いねーよ!と叫びたくなる。


だけど、繁忙期かつ、本部が店のチェックに抜き打ちで来る日、
そんなしょうもない万引き店員に関わっている暇なんて無い、
大事にしたくもない、だから警察の言うことを聞いて早く終わらせよう…


そんな心理になる店員、店長は、


・電話越しの警察を信じて少女を監禁する
・警察「しばらくいけないから代わりに身体検査をしてくれ」
・警察「まずは服の中にお金を隠していないか?」⇒当然何もない
・警察「常習者は服の中に隠すんだよ!脱がせて検査しろよ」
・店長は訝しがりながらも服従してしまう



その結果…
















こんな事になってしまう。
そしてもうこの辺から気味悪く、怖くなってくる。
警察という権力を持つものに対して、
人はここまで思考、判断力を停止させてしまうのか。


この後、映画ではさらに最悪の展開が加速していく。


始めから終わりまで薄気味悪い映画だったが、
訴えられた店長(ウソ警察の指示で服を脱がせたりした)の
インタビューのラストシーンが最も印象的だった。












(圧倒的な演技力を見せつけたアン・ダウトは
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞助演女優賞)


彼女は少しだけ申し訳なさそうにしながら(本当に少しだけ)
インタビューに答える。

そして、

「私も被害者なのよ。誰だって私と同じ事をしたはずよ。」

と、平然と答える。

その軽妙とも言える語り口は、観客として目の前で見せつけられた
不愉快極まりない人間の思考停止、服従、行動、全てが詰まったフィクション
とは圧倒的に反比例する、釣り合わなさすぎるものであるが故に、
恐怖と不快感はラストシーンで倍増するのであった。

2013年7月1日月曜日

映画『ブルーバレンタイン』95点


好きな映画である『500日のサマー』を、
よりヘビーかつ深淵に描ききった恋愛映画の快作。傑作。
人生ベスト10に確実に刻まれる名作となった。


男がいかに女を愛していようと、
そこに「真実の愛」なんてものが存在する保証なんてない。

「本当に大変なのは結婚してから」という、
恋愛、それを超えた先にある結婚における
徹底したリアリズムをこの映画は感じさせてくれる。


そしてまず、何よりも。

ノーメイク、体重の増減、そしてヌードもいとわないミシェル・ウィリアムズ、
















同じく体重を増減させ、年老いた姿を演じるために
自ら髪を抜いて役作りを行ったという
ライアン・ゴズリングの圧倒的な演技力が
この映画のリアリズムをより増長させ、傑作足らしめているのだ。
これが『ドライブ』のイケメンだと思えない!

















しかし、『ブルーバレンタイン』は、作品の前情報無しに見始めると、
しばらく何がどうストーリーとして展開するのか全く分からない。

それは、あまりにもゴズリングとミシェルの演じる夫婦が「自然」で、
ありふれた日常に見えるからだ。

こちらは完全に末期の二人













「ブルー」でない時の二人①

「ブルー」でない時の二人②
その時間は決して長くは無い。






























余談だが、個人的にこのシーンが一番好きだ。
矛盾するようだが、やはり人間の性で、ブルーな話だからこそ
こういうブルーではないシーンが印象深くなってしまう。

この映画の見所の一つに、一組のカップルを通して、
恋愛・結婚における「ブルーな時」と「ブルーで無い時」の変遷を
鮮明かつ、鮮やかに描ききっている点がある。


そしてさらにこの映画を名作たらしめているのは主演二人の演技力だ。

あまりにもゴズリングとミシェルの演じる夫婦が「自然」に見え、
しかもそれが恋愛映画によくある「愛し合っている」とか、
「冷め切った関係」とか、わかりやすい演技表現によって
観賞者に伝わってこない。

そのため見ているこちら側は、何か分からないが、
決して前向きには進まないのであろう
(タイトルや画面に映し出される映像のどことなく暗い色合いなどから想像して)、
ということを予感じみた感覚として得始める。


それを支えるのは、近年というか、長らく日本映画における
ヒット作の定番となりつつある「セカチュー的恋愛映画」に
正面切って中指突き立てたくなるほどの、
ゴズリングとミッシェルのストーリーに頼らない演技力にある。















その演技力を感じさせる源泉は、彼らの顔、顔を支える身体
(この場合、声や体に関する全ての動き)であって、
直接的な表現方法である会話や、
セカチュー的な単純な悲喜劇というストーリーでは無いのだ。
そこにこの作品というか、監督の真骨頂が見える。


ちなみにこの映画の徹底したリアリティーを支えているのは、
彼らの演技力だけでなく、その演技力を引き出すための
シアンフランス監督のドS的演出でもある。

それは、二人を実際に3週間くらい同居させて、
お互いの良いところも嫌なところも
ある程度認識させて撮影に臨ませたり、

最も驚いたのは、
シンディがディーンに妊娠を告白するシーンで、
二人それぞれに

「妊娠してることを絶対しゃべるな。」

「なにがなんでも彼女から聞き出せ。」

とシアンフランスは指示。

















実際は数十分にも及ぶらちのあかない押し問答を、
カメラを回しっぱなしで撮影し、「あの」シーンが生まれたらしい。
ここはネタバレになってしまうので、観てからのお楽しみ。

詳しくは町山智浩さんの『トラウマ恋愛映画』を。
これを読んでもう一度見るとさらに楽しめます。


とはいえ、「楽しめます」とか気軽に言えるほど
ライトでポップな恋愛映画では決してない。

カップルや夫婦で絶対に観るべきではない
みたいな触れ込みがされているこの映画だが、確かにそうだ。


「悲しいラスト」という説明句が、

「言葉とは何て陳腐な表現方法なんだ!」

と絶望的な叫びをこだまさせたくなるほど、
何ともいえない切ないエンディングシーンは、観る者の心を揺さぶる。


月9的、予定調和の恋愛映画に唾を吐きかけるような
女とは?男とは?愛とは?愛の終わりとは?
なぜ愛は始まり、終わるのか?






















そんな人間にとって、男女にとって究極の疑問を
否が応でも突きつけられ続ける極限の恋愛映画なのだ。


映画館で観たカップルの鑑賞後の気まずさを想像するとぞっとする。
家で一人で見てこんな風にのんきに感想をブログで書ける自分を幸せに思う。


少しでも今の彼氏に不満を抱えている彼女と観てしまったものならば、
彼女の決断の背中を押す可能性を大いに秘めたフィクションなのだから。