注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2013年3月25日月曜日

映画『アニマルキングダム』80点



1988年にメルボルンでビクトリア州警官2名を射殺し
無罪判決を受けたトレヴァー・ペティンギルと
その家族に材を得て作られたオーストラリア映画。


タランティーノが絶賛するだけあって重厚な良い映画だった。


兄弟みんなヘロイン中毒、母親の目の前で鼻からヘロイン吸引してもお咎め無し。
どころかお茶を飲むかのごとく可憐にスルー。
街で喧嘩売られたら銃で脅してヘラヘラ、


絶望的な家族の絶望的な話。
悪が日常化しすぎて、違和感なくどうしようも無い
家族の様を静かに淡々と見せつけられていくので、
鑑賞側もその「悪」に麻痺する。


この家族って冷静に見たら最低最悪だよね?
っていちいち確認したくなる。
確認しないとこっちがくるっているかのように思わせるほど
この映画ではDQNを極めた家族たちが淡々と描かれている。


DQN系という言葉では語り尽くせないほど、
いや、そんな可愛いもんじゃ無いって程のろくでなしだらけの家族。

実話をベースにしてるって言うんだからさらにその絶望感は増殖する。


主演の少年の終始物憂げな演技もさることながら、












アカデミー賞助演女優賞にノミネートしたジャッキー・ウィーヴァー
世界にひとつのプレイブックでロバートデニーロの嫁役)の















「悪いおばあちゃん」ぶりは、
「悪い」という言葉では表現しきれないほど、
その表情は終始不気味さを醸しだし、完璧と言っていいほどの怪演だった。


ラストシーンは衝撃だが、その衝撃すらすぐに日常化、
何事も無かったかのように、

「これが私たちにとっては正解なんだわ」

みたいな顔をおばあちゃんがして、
静かに過ごしていくんだろうな、何て納得させられてしまう

静かだけど、エネルギーを持った(それも黒い、とても強い)映画だった。

2013年3月15日金曜日

映画『世界のひとつのプレイブック』68点



色々な人が良い、良いっていうから、どれだけ良いの?
ってな具合に若干ハードルを上げ気味での鑑賞開始。

結果的に、ある意味前評判通り、
アカデミー賞の演技部門全てにノミネートした
豪華キャスト陣の演技力が全ての映画でした。



中でも実際に主演女優賞を受賞した















ジェニファー・ローレンスの輝き振りは最高という
言葉以外見つからないほど、エネルギーが迸る受賞に値する熱演だった。


なんで『ハンガーゲーム』みたいな駄作に出てしまったのか
心から疑いたくなるほどの、痛快・会心の演技!


個人的にはファミレスで切れて、ぶちまけて、
ガラス越しに両手の中指を突き立てるシーンが最高!












先に書いたようにこの映画の評価は良くも悪くも
俳優陣で全て完結している。
つまり、中身よりも彼ら彼女らの方のインパクトが強すぎて
脚本や展開がさほど印象に残らないし、深みを感じないし、
感動も無かった。(僕の場合)



そもそもブラッドレイ・クーパーが、
なぜローレンスをそこまでして愛したのか、
その過程が濃密に描かれていないから、
最後の美しすぎる、絵に描いたような、
逆に絵に描いた感満載過ぎて拍子抜けするほどの
エンディングがスッと受け入れられない。



心に傷を負った二人がわかり合うっていう
王道中の王道のストリーを行った割に
最後のカタルシスがいまいち。
クーパーとローレンスの演技力でかろうじて感動する程度。


そしてそんな状況に追い打ちをかけるのが、
描かれる、舞台となる世界の「狭さ」。
俳優陣の重厚さの割に、彼らが生き様をさらす
「舞台」が小さすぎるから、その演技力を吸収しきれない。
単純に、物理的に、彼ら彼女らが生きている
コミュニティーが狭すぎるのだ。

こういう小さな街の小さな出来事を描き続ける映画なら
やっぱり演技部門全てにノミネートして当然みたいな
レベルの俳優達を使うべきでは無い。
そんな人たちを集めて映画を作りたいなら、
オーシャンズ的な大味なお話にすべきであって、
小さな物語を描いてはいけない。

地味で無名な俳優達を集めて、
心温まる小さな物語を描いて、
「結果的に演技部門全てにノミネートした」っていうことなら
この作品はもっと良いものになるが、
そもそもが、「結果的にノミネートする俳優」レベルでは無いのだ。

ノミネートして当然!という奴らが集まってしまっているから
それが逆説的にこの映画をつまらなくしている。

映画って難しいですね。

っていうわけで、映画館に見に行く価値がある基準となる
70点には及ばず、しかし俳優陣の演技力は抜群!
特にローレンス最高!ってことで68点。
お後がよろしいようで。

2013年3月10日日曜日

映画『ジャンゴ 繋がれざる者』70点



映画館でタランティーノ作品を見たのは初めてかも。















『イングロリアスバスターズ』での「怪演」が
記憶に新しいクリストフ・ヴァルツが
またもやアカデミー賞助演男優賞を受賞した作品。



という前情報の上で鑑賞したため、
どれだけの「怪演」ぶりを見せつけてくれるのだろう
という期待感で映画はスタート。



そして忘れちゃいけないのが、
ゼロダークサーティーに続いて、僕の隣には
外国人(今回は大柄なアフリカン系&日本人妻)。
これが後々というか開始早々鑑賞に大きな影響を与える。



肝心な映画の方は、タイトルにあるように70点。
毎回思うが、タランティーノの映画には良くも悪くも
そこに「思想」や「主義主張」みたいなものが
縫合されていない(ように見える)から、
とても気持ちが楽なまま、始まって終われる。



ただ、そんなエンターテイメント性は、
『ダイハード』のような思考停止で何も考えずに
見続けられる「エンターテイメント」ではなく、
彼独特の「台詞回し」や「ニッチな笑い」、
総じて言えば壮大なコントみたいなものを
嫌らしいほど見せつけてくるので、
世の中のタランティーノ好きみたいな人口が
増え続けているのだろうと思う。

それは今回も同様で、ビデオショップの映画マニア店員から
一流映画監督に上り詰めたタランティーノらしく、
エンターテイメントとして一級品の映画だったと思う。

その証拠に、僕の隣に座った大柄なアフリカンは
「えっ?そこで笑う?」みたいな所でも爆笑。
ほぼ笑ってた。


クリストフ・ヴァルツが乗っている馬車















が登場したときですら笑っていた。
たぶん上についてる歯のオブジェに笑ったんだろう。

今回抜群の存在感を示していた
サミュエル・L・ジャクソンの顔芸にも終始爆笑。
クリストフ・ヴァルツが吐く大小様々な毒にも終始爆笑。

音楽が鳴り始めると同時に、
縦ノリ・横ノリ縦横無尽。
面白かった台詞は自分でリピートしてもう一回笑う。

「この人毎日幸せだろうな」
って心から思えるほど
タランティーノの映画を見て爆笑するアフリカン。

その隣で鑑賞する僕。

唯一疑問だったのが、
この映画、奴隷解放前のアメリカを描いているので、
終始「ニガ-」という差別用語が飛び交い、
終始圧倒的な、時には目をふさぎたくなるような
黒人差別が描かれているのだが、
僕の隣に座ったアフリカンは、そんなこともお構いなし。
「ニガ-」にも爆笑。
黒人差別を皮肉に笑いに転換した場面も爆笑。

思わず「この人はどういう気持ちで笑ってるんだろう」
と、考えさせられるほど気持ちよく笑っていた。
自分の祖先が圧倒的な差別を受ける
そんな場面を例えエンターテイメントの映画だと
割り切っていてもそんなに笑えるんだろうか。

逆に僕は「キル・ビル」を見たときに、
日本人、武士道を圧倒的に馬鹿にされている気がして
とても不愉快になった。

そんな自分は小さな人間なのか、
こうやって笑い過ごせる大きな心を
持った方が幸せなのかも、
そんなことを思わせるほどのアフリカンの爆笑ぶり。

というわけで今回の鑑賞はそのアフリカンありきの鑑賞となってしまったが、
一つ忘れてはいけないのが、クリストフ・ヴァルツ目線で鑑賞開始したジャンゴだったが、

鑑賞後、圧倒的に脳裏に刻まれたのはレオナルドディカプリオ。















レオ様には似つかわしくない、
極悪非道の悪役を演じきったわけだがその迫力たるや本当に見事だった。

アイドルのように華々しく世界的スターとなった
レオ様は、実は圧倒的に演技派だったんだ!
ってディパーテッドの時も少し感じたけれど、今回は別格中の別格。

僕としては彼が助演男優賞を
受賞すべきだったと思えるほど。

サミュエル・L・ジャクソンの顔芸とコント、
レオ様の圧倒的な悪童ぶり、
クリストフ・ヴァルツの安定した存在感、
忘れちゃいけないジェイミー・フォックスの
黒人差別に対する抵抗の意思を
静かに演じきった力量、

そして頭からケツまで壮大なコントを作り上げ、
最後には自分も出ちゃうタランティーノ。
エンターテイメントとして普通に面白かったので70点。
皆さんも劇場で是非。